ブルデュー『実践感覚』
- 作者: ピエール・ブルデュ,今村仁司,港道隆
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2001/06/06
- メディア: 単行本
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第4章 信念と身体
- 【401】身体表象も世界表象もまったく想定せず、ましてや身体‐世界関係の表象も想定しない準身体的な世界志向、何をなすべきか、何を言うべきかが直ちに身振りや言葉を命ずるが、この緊迫性が世界から押し迫る世界への内在、このようなものが実践感覚であり、それが諸々の「選択」を方向づける。
- ゲームが問題となるとき、場……は明瞭に任意の人為的な社会的構築物となる。それはひとつの人工物であって、その自律性を定義するあらゆる側面――明白で特殊な規則、厳密に限定された非日常的空間――で人工物であることが想起される。
- 反対に、長期の緩慢な自律化過程の産物であって、こう言ってよければ対自的ゲームでなく即自的ゲームであるところの社会的場にあっては、ひとは意識的行為によってゲームに参加するのではなく、ゲームの中でゲームとともに生まれる。
- 【402】
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- 【406】
- 【407】身体的ヘクシス〔慣習的行為〕は現実化され身体化された政治神話であり、振舞う・語る・歩く、そしてそれを通して感ずる・考えることの永続的性向や持続的作法となった神話である。
- 【408】
- 【409】
- 【410】言い換えれば、身体の動かし方の要素的行為(上にあるいは下に、前にあるいは後に行く、等々)、特にこの身体運動の本来的に性的な――したがって予め生物学的に決まっている――側面(積極的か消極的か、強いか弱いか、等々)に社会的意味作用と社会的価値を重ね合わせることは、身体的空間と社会的空間およびこの両空間における移動(例えば上昇あるいは下降)の間の等価値性感覚を教え込み、またこれによってひとつの集団の最も基本的な構造を、情動のなかによく見られるように隠喩を真に受ける身体の本源的経験の中に根づかせることである。
- 【411】
- 【412】身体への関係は言語活動と時間への関係から切り離せないハビトゥスの根本次元であるから、「身体のイメージ」には還元されない。「身体のイメージ」は、基本的には他人によって作られ送り返される身体表象から構成される主観的表象であるからだ。
- 【413】
- 【414】教育の仕事が専門の自律的実践として制度化されていない限り、……実践的習熟を定義するモードゥス・オペランディの根本は言説のレベルに達することなしに実践の中で、実践状態で伝達される。ひとは「モデル」を模擬するのではなくて、他人の行為を模擬する。
- 【415】
- 【416】初心者が、模倣される実践や仕事の生産者を知らぬ諸原理はもとより、「技芸」や生き方の諸原理を知らぬ間に無意識裡に会得するといった単に馴染むことによる学習と、規則と掟による明示的で明確な伝承との間に、実践的習熟のあれこれの形式を伝承しやすい構造的練習問題がどの社会においても予め用意されている。
- 【417】しかし実際には、構造化された時間・空間の中で行なわれるすべての行為は、直接に象徴的に特色づけられ、基本図式が実践的に習得される構造的練習問題として機能する。社会的規律訓練は時間的規律訓練の形式をとる。そして時間の使い方、集団的・個人的活動の時間配分、活動を行なうために適わしいリズムを規則づける特殊な方法を通じて、身体的態度の深層にまで社会秩序が染み込んでくる。
- 【418】
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- 【420】
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