自己言及

コンサイス20世紀思想事典

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自己言及[英]self-reference

一般に、言葉は言語外の事物や事態に言及することによって、意味作用を発揮する。例えば、「このバラは美しい」という文は、バラの花という知覚対象に言及し、その性質を叙述している。しかし、「このかぎ括弧の中の文は偽である」という文は、当の文それ自身を言及対象としており、その意味を字義どおりに受け取るならば、真と偽の反転が生じ、果てしのない循環に巻き込まれる。このように、文が自分自身を言及対象とすることを〈自己言及〉といい、それにまつわる逆説は、古くから〈嘘つきのパラドックス〉として知られていた。20世紀初頭にB.ラッセルが発見した〈集合論パラドックス〉もまたこのような自己言及の構造をもっており、この場合は問題が数学的認識の根幹にかかわるものであっただけに、数学者たちに大きな衝撃を与えた。一般に論理学者は、自己言及性を言語レベルの混同から生じた克服されるべき悪循環とみなしており、ラッセルは〈階型理論〉を立てることによって、またA.タルスキは〈対象言語〉と〈メタ言語〉の区別という言語の階層性を導入することによって、自己言及のパラドックスの解決を試みた。ただし、K.ゲーデルによる〈不完全性定理〉の証明は、この自己言及性をみごとに応用した結果として注目に値する。ところで1970年代に入ると、広義の自己言及性をむしろ創造的循環として積極的にとらえ直そうとする動きが各分野に現われてくる。精神病理学における〈ダブル・バインド〉理論、生物学における〈自己組織化〉理論(→自己組織性)や〈自己制作〉理論などがそれであり、また文学における〈メタフィクション〉の方法も、自己言及性の創造的活用の一例といえる。
数学基礎論
(野家啓一)



縮刷版 社会学事典

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自己言及〔英〕self-reference〔独〕Selbstreferenz

自己自身を指示・言及すること。(1)自己言及は、まず数学の領域で注目された。ラッセル、タルスキ(Alfred Tarski 1902〜)、ゲーデル(Kurt Goedel 1906〜78)らによって、自己言及的な言明がパラドックスを導くことが示された。そのパラドックスはすべて、「この言明は偽である」といった真偽の決定が不可能な言明とほぼ同型の構成をもつ。特に、ゲーデルは、いかなる形式体系も、無矛盾である限り、自己言及的な構成を持つ決定不可能な言明を含んでしまうこと、などを内容とする重大な定理を証明した。自己言及のパラドックスは、言及する階梯と言及される階梯との混同を禁止するなどの方策によって、避けられてきた。それに対して、スペンサー=ブラウン(George Spencer-Brown)は、ブール代数を独特な仕方で拡張すれば、自己言及的な構造を排除せずに積極的な要素として取り扱いうることを示そうとしている。(2)数学のみならず、一般に、体系の諸要素の相互の関係(形式)以外なにものも存在していないような場合には、すなわち体系が自律的に閉じており、全体の意味を決定する外的実体を持たない場合には、自己言及が、したがってそれに伴うパラドックスが、必ず見出される。例えば、言語は、外的な指示対象から切り離して自律的体系として捉えてみれば、「言語についての言語」として存在するしかないから、自己言及的である。自らの体系を形式のみによって成る自律的体系として純化させようとする運動は、20世紀の諸学問・芸術の共通の傾向であるとさえ言えるので、自己言及はそれら全ての領域で見出されるはずである。(3)ルーマンは、すべての行為は、自己言及的な構造をもつとし、行為を要素とする社会体系を自己言及的な自己創出システムとして把握している。それゆえ、ルーマンによると、社会体系は、自己言及に伴うパドラックスの克服(脱パラドックス化・脱トートロジー化)を実現しなくてはならない。

ルーマン、社会体系、自己組織系
(大澤真幸)

〔主要文献〕K.Goedel、"Ueber formal unentscheidbare Saetze der Principia Mathematica und verwandter System I"、in Monatschefte fuer Mathematik und Physik38, 1931. G. Spencer-Brown、Laws of Form、1969(山口昌哉監修、大澤真幸宮台真司訳『形式の法則』朝日出版社、1987). 柄谷行人「形式化の諸問題」『隠喩としての建築』講談社1984. N. Luhmann、Soziale Systeme, 1984. 今田高俊『自己組織性』創文社、1986. 大澤真幸「身体の微視政治技術論」『現代思想』14:14、1986.