社会システム理論 第2章8節(前半)

金曜(2006年4月21日)の三田ルーマン研究会。

Social Systems (Writing Science)

Social Systems (Writing Science)

Soziale Systeme: Grundriss einer allgemeinen Theorie

Soziale Systeme: Grundriss einer allgemeinen Theorie

社会システム理論〈上〉

社会システム理論〈上〉

  • 第2章「意味」
    • 第8節「三つの意味次元の分化」(前半)

次回研究会は5月5日、と思ったらGW中だ、これ、というわけでその2週後の、5月19日(金)、『社会システム』第2章8節(後半)の予定です。
ご家族ご近所お友達おさそいあわせのうえ、ふるってご参加下さい。



podcastingしました。

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レジュメと配布資料:http://www.geocities.jp/hidex7777/mls/



以下音声ファイルのための補遺。
ええとちなみに、ぼくはレジュメ担当者ですが、「レジュメ」といいつつ英訳の直訳を全部のっけてます。理由はぼくがドイツ語が苦手ということと、日本語も苦手だけどこの本の邦訳はもっと苦手ということと、この本の私訳を作っておきたいのでこの機会に、という意味合いでやってます。その他の意はないです。
では段落ごとに行きます。

  • [2-8-02]書字の発明、アルファベット化

ハヴロックで邦訳があるのはこれだけかあ。この節ではオングへの参照はない。(本書のどこかでオングに言及していた気がするが、気のせいだろうか)

プラトン序説

プラトン序説

声の文化と文字の文化

声の文化と文字の文化

  • [2-8-03]事項的違いの、時間的違いへの投影

はじめは事項に関連していた術語、【varietas】〔可変性〕【praesens】〔現前性〕【novus】〔新しさ〕などは、そうして、時間に関連したものへと移行させられた。いったんこの分化が定着すると、新しい結合が可能になる。たとえば、科学の形式においては、18世紀にはじまったことだが、同時に存在しないもののために、同時に存在するものから(したがって経験的に!)結論を引き出すことをはじめたのだ。

博物学におけるリンネ、人類学におけるルソー(レヴィ=ストロースの発言「人類学の創始者としてのルソー」*1、を想起せよ。「同時に存在しない」(時間的=歴史的)ものを「同時に存在する」(事項的=存在〔論〕的)ものから(経験的に!)導き出す、という「科学的」手法。


また、varietas、novusの、中世以降の、芸術における価値の変化、をも想起。これは『社会の芸術』の索引で「新奇さ」をあたれば、いやというほど(笑)ヒットする。
とりあえずKdG邦訳の索引↓(+は当該語はなく間接的に論じられている箇所、*は邦訳にて追加された索引アドレス

新奇さ Neuheit 45-46, 67, 77-78, 109, 218+, 240, 255, 269+, 301, 330-335, 379, 396, 436-437, 442-444, 483, 488, 544-545(n30)*, 597(n45)* →逸脱、旧い/新しい、オリジナル/コピー

たとえばこんな記述:

古代においては人目を引くということが尊重されたのは、想起の前提としてのみ、つまりそれが情報価値をもつからという理由によってのみだった。しかし今や新奇なものの概念は時間化される。新奇なものは固有の魅力を持つことが発見される。(略)
(略)今や古代とは違って、また中世とは、さらには初期ルネッサンスとも異なって、生産者と受容者の関係が、あるいは芸術と公衆の関係が前面に出てきているのである。(略)したがって芸術の基準は、特に学との境界づけにおいて、芸術がいかにして公衆を捉えるかという様式のうちに求められることになる。同時に《好まれること》は公衆の側の管轄事項となる。結局のところ、ある個人が何を好むかを決定しうるのは本人だけだからだ。たださしあたってはどんな個人でもというわけではない。あくまで判断力のある個人、趣味のある個人だけなのである。(略)趣味を備えた個人だけが新奇なものから刺激を受け取ることができる。そういった個人のみが新奇か否かを判断できる。(略)[332-3頁]

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

  • [2-8-04]世界に関係した個人

人間はまず、(略)そして最終的には世界に関係した生きた個人として、解釈されたのである。

「これってユクスキュルのような解釈のことをいってんのかなあ?」と。

生物から見た世界 (岩波文庫)

生物から見た世界 (岩波文庫)

  • [2-8-04]放蕩息子の帰還

ルーマンの「内的喪失からの奪還(aus seiner inneren Verlorenheit zuruckgeholt)」という言い回し(英訳だとここんとこ、"retrieve the I, so to speak, from internal lostness"となっている)はルカ15-11。(The Denmo Bibleより)

15:11 彼は言った,「ある人に二人の息子がいた。 15:12 そのうちの年下のほうが父親に言った,『お父さん,財産のうちわたしの取り分を下さい』。父親は自分の資産を二人に分けてやった。 15:13 何日もしないうちに,年下の息子はすべてを取りまとめて遠い地方に旅立った。彼はそこで羽目を外した生活をして自分の財産を浪費した。 15:14 すべてを使い果たした時,その地方にひどいききんが起こって,彼は困窮し始めた。 15:15 彼はその地方の住民たちの一人のところに行って身を寄せたが,その人は彼を自分の畑に送って豚の世話をさせた。 15:16 彼は,豚たちの食べている豆のさやで腹を満たしたいと思ったが,彼に何かをくれる者はいなかった。 15:17 だが,我に返った時,彼は言った,『父のところでは,あれほど大勢の雇い人たちにあり余るほどのパンがあるのに,わたしは飢えて死にそうだ!  15:18 立ち上がって,父のところに行き,こう言おう,「お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。 15:19 わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません。あなたの雇い人の一人のようにしてください」』。
15:20 「彼は立って,自分の父親のところに帰って来た。だが,彼がまだ遠くにいる間に,彼の父親は彼を見て,哀れみに動かされ,走り寄って,その首を抱き,彼に口づけした。 15:21 息子は父親に言った,『お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません』。
15:22 「だが,父親は召使いたちに言った,『最上の衣を持って来て,彼に着せなさい。手に指輪をはめ,足に履物をはかせなさい。 15:23 肥えた子牛を連れて来て,それをほふりなさい。そして,食べて,お祝いをしよう。 15:24 このわたしの息子が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』。彼らは祝い始めた。
15:25 「さて,年上の息子は畑にいた。家のそばに来ると,音楽や踊りの音が聞こえた。 15:26 召使いたちの一人を呼び寄せ,どうしたのかと尋ねた。 15:27 召使いは彼に言った,『あなたの弟さんが来られたのです。それで,あなたのお父様は,弟さんを無事に健康な姿で迎えたというので,肥えた子牛をほふられたのです』。 15:28 ところが,彼は腹を立て,中に入ろうとしなかった。そのため,彼の父親が出て来て,彼に懇願した。 15:29 だが,彼は父親に答えた,『ご覧なさい,わたしはこれほど長い年月あなたに仕えてきて,一度もあなたのおきてに背いたことはありません。それでも,わたしには,わたしの友人たちと一緒に祝うために,ヤギ一匹さえ下さったことがありません。 15:30 それなのに,あなたの財産を売春婦たちと一緒に食いつぶした,このあなたの息子がやって来ると,あなたは彼のために肥えた子牛をほふられました』。
15:31 「父親は彼に言った,『息子よ,お前はいつもわたしと一緒にいるし,わたしのものは全部お前のものだ。 15:32 だが,このことは祝って喜ぶのにふさわしい。このお前の弟が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』」。


クラウン独和辞典:

verloren
━━〈形〉

[1] (a) 失われた, 存在しない.―~e Buecher (存在したことは確認されているが現存しない)幻の本. ein ~es Laecheln 悲しげな微笑. ~e Eier《料》落とし卵. j4 (et4) ~ geben/j4 (et4) fuer ~ halten〈人4〉(〈何4〉)を[ないものと]あきらめる. Der Kranke ahnte, dass er ~ war. 病人は死期の近いことを感じた. (b) むだな.―~e Muehe 徒労.

[2] (a) 孤独の, 見捨てられた; 救いようのない, 絶望的な.―ein ~er Ort 僻地. [die] ~e Generation 失われた世代(第一次世界大戦の体験から虚無と絶望に陥った1920年代の世代). der ~e Sohn (帰宅した)放蕩息子(新聖: ルカ 15, 11‐32). Noch ist nicht alles ~. まだ望みがすっかりなくなったわけではない. auf ~em Posten kaempfen 勝ちみのない戦いをする; 《比》 お先真っ暗な状態である. Ohne seine Frau ist er einfach ~. 奥さんがいないと彼はまったくどうしようもない. (b) ぼんやりした.―in Gedanken (in den Anblick et2) ~ ぼんやりと考えに耽ふけって(〈何2〉に見とれて).

おお、ちゃんと辞書にも出ている有名な熟語だ。ぼくは[2](a)の「失われた世代」ともかかっているのではないかと勘ぐるけどね(笑)。英訳のlostともかぶるし(lost generation)。

そんでバッハ『マタイ受難曲第一部、「ユダの裏切り」のアリア「血を流せ、わが心よ!」第42曲:アリア「われに返せ、わがイエスを!」では、ユダに対して「放蕩息子」という言葉が使われていて、これはユダを救われるべき者として指し示しているとかなんとかっていう大議論が巻き起こったんだって。(マタイ受難曲 - Wikipedia

てなわけで『マタイ』はまずはリヒターの3枚組で:

バッハ:マタイ受難曲 BWV244

バッハ:マタイ受難曲 BWV244

またはレオンハルトの3枚組みで:
バッハ:マタイ受難曲(全曲)

バッハ:マタイ受難曲(全曲)

(コメント欄参照↓)
マタイ受難曲

マタイ受難曲

「のだめ」関連のコンピにはアリア「血を流せ、わが心よ!」は収録されてないんじゃなかったかな?たぶん。調べてないけど。【追記】ない。そもそもアリアがない。
タワレコのキャッシャーのとこにある10枚組みで1000円とかに入ってないかな。誰か見てきて。

  • [2-8-04]超限的

transfinite(原文、英訳共に)。「超限の、超越的な、超限的な」(n,a)。数学用語。


  • [2-8-05]合意/不合意差異

余談で「大澤真幸がかかわってた『合意形成研究会』ってどうなったんだっけ?」ってなハナシが出てきましたが、

カオスの時代の合意学 (創文社現代自由学芸叢書)

カオスの時代の合意学 (創文社現代自由学芸叢書)

この本に「不可視の合意」という論文が。http://www.logico-philosophicus.net/profile/OsawaMasachi.htmの1994年のところ。ワタクシ未読です。三田にあるらしいのでコピー(自分用メモ)。

  • [2-8-07]ゼマンティクの前適応的進歩

とりわけ、事項の秩序から区別できる時間のゼマンティクと、社会的なそれのゼマンティクは、遅くとも18世紀までには、それはただ「人間」という特定の事項的モノを統制するだけであるという観念、およびこれは人間を動物から〔事項的に〕区別するものに関わっているという観念を放棄した。

という部分。馬場さんが「前適応的進歩」みたいなものですね、と述べている箇所。「前適応的進歩」については、『社会の芸術』第4章訳注[21]を参照するとよいだろう。

「前適応preadaptation」は「外適応exaptation」とも呼ばれる。当初別の用途に当てられていた構造が、その後(変化した環境において)新たな用途に当てられ効力を発揮すること。例えば鳥の羽毛は当初は保温効果が自然選択されるかたちで発達してきたが、その後飛翔能力が自然選択にかかるようになり現在に至ったと考えられている。

あれだ。分子生物学の、殺虫剤のハナシ。ある殺虫剤に対する免疫遺伝子が、ある殺虫剤に対する免疫として意味を持つのはある殺虫剤発明以降のことであって、それ以前には遺伝子上は無意味なノイズでしかなかった、っていうどこかで聞いた話みたいなものかもしれない。

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

*1:レヴィ=ストロース「人類学の創始者ルソー」(塙嘉彦訳)『未開と文明』所収。