デミリオ

D'Emilio[1980=1997]は、資本主義の発達に〈ゲイ・アイデンティティ〉の成立を関連づけている。

17世紀のニューイングランドヘの白人入植者たちは、家族経済を中心とした自給自足的な村を設立した。この村は家父長制的なものである家族を基本単位としてつくられていた。しかし19世紀までに世帯内生産のこのシステムは衰えはじめる。北東部においては賃労働が普及し、彼/彼女らは世帯経済から自由労働システムヘと転落した。資本主義のもたらした変化によって、家族は落合恵美子[1989]が指摘したような「近代家族」へと相貌を変える。それは《情動と感情と愛情の唯一の可能な場》(Foucault[1976=1986:139])となったのであり、《労働と生産を中心とする公共的世界からはっきりと区別され分離された個人生活の場となったのだ》(D’Emilio[1980=1997:149])。

デミリオによれば、入植時代のニューイングランドにおいて、出生率は7人以上であった。彼らは子供の労働を必要としていたのであり、《性は生殖のみに奉仕させられた》。キリスト教的伝統社会における行為の規制コードに関してすでにみたように、清教徒は結婚の外での性の表現をすべて非難していたのであって、ソドミーと異性間の姦淫とを明確に区別してはいなかったのである。しかし1970年までに出生率は2人にまで低下した。賃労働システム下において生産が社会化され、《性が生殖への「義務」から自由になることが可能になった》。[ibid.]

家族という異性愛のシステムから、都市の自由労働システムヘと人口が移動することで、「愛」をめぐっての自律した関係、愛の領域が追求される条件が整った。しかし彼/彼女らは自分一人でその内なる欲望に気付き、アイデンティティとしてとらえたわけではない。デミリオは、アイデンティティと社会的条件との関係を、「社会的空問」という社会学的概念で説明している。17世紀においても、同性間の性的行為が存在していたことが記録されている。しかし、《同性間での性行動は、同性愛者のアイデンティティとは異なる。きわめて単純にいって、17世紀の入植者たちの生産システムには、ゲイ/レズビアンの存在を許容する「社会的空間」がなかったのである》[ibid.]。

自由労働システムとそれに伴う都市の誕生は、「社会的空間」を発達させる。20世紀の初頭には、ゲイ/レズビアンのためのバー、社交場があった。人々は、都市の中に大きく確立された社会的空間において、サブカルチャーの中で自己をアイデンティフィケーションするようになる。有名なキンゼイ・レポートによると、この社会的空問が発達していなかった1940年代のアメリカ西部では、同性との性交渉は観察されるもののゲイ・アイデンティティをもっているものはほとんどいなかったのである。

また、ゲイ・コミュニテイの発達にとって、第二次世界大戦の動員体制は重要な役割を果たした。《数百万の若い男女を異性愛的な環境である家庭から引き出し、両性が分離された状況(軍隊)へと投げ入れた。すでにレズビアン/ゲイであったものにとっては仲間と出会うための機会でもあった。他の者たちは、戦争が供給した一時的な自由を、性の可能性を模索することに用いることによって、レズビアン/ゲイになることができた》[ibid.:152]。