ルービン、酒井、ハルプリン

たとえば1631年に男色の罪で裁かれたキャッスルヘヴン伯爵は、自分からも他者からも、ある特殊な性的指向をそなえた個人であるとは理解されなかった。彼はたんに神の法およびイングランドの法を犯した法的主体でしかなかったのである(Rubin[1984=1997:112])。

この伯爵の行ったソドミー行為(男色)は、法的・宗教的コードによって「逸脱」と名指され、規制を受ける。伯爵は、ソドミー行為を行った「ソドマイト」という罪人なのだ。ところがこの(17世紀の)コードは罪人の「内面」を問うことはない。《ソドマイトの場合、ソドミーという罪ある行為を実際に行っている人間がそう名指される。したがって彼がその行為を(改俊などによって)やめたとき同時にソドマイトであることをやめる。他方で同性愛者は同性愛的活動をやめたからといって同性愛者であることをやめるわけではない》(酒井隆史[1995:168])。

同性愛の百年間―ギリシア的愛について (りぶらりあ選書)

同性愛の百年間―ギリシア的愛について (りぶらりあ選書)

古代ギリシアにおけるセックスは、(…)個人の社会的地位の表明であり、社会的アイデンティティの宣言であった。(Halperin[1990=1995:54])

少年愛の関係にある年輩の男性と若い少年の両者をともに、たとえば〈同性愛〉として同質化するようなことは、古代アテネ人にしてみれば、それこそ、泥棒を「能動的な犯罪人」とし、被害者を「受動的犯罪人」として、両者をともに犯罪の共犯者として分類するのと同じように、奇怪なことだった。(Halperin[1990=1995:55])。