絵本のハードコア〜はてなダイアラー絵本百選

うろんな客
エドワード ゴーリー, Edward Gorey, 柴田 元幸

発売日 2000/11
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1.

ぼくがここでとりあげる絵本は、エドワード・ゴーリー柴田元幸訳)『うろんな客』だ。まずこの本の「人となり」を簡単に解説しよう。

著者のエドワード・ゴーリーは、1925年シカゴ生まれの絵本作家で、60〜70年代に多くの作品を出版し、カルト的な人気を集めている(本書[原題:The Dubtful Guest]の出版は1957年)。独特のイラストレーションもさることながら、見事に韻をふんだ文章が特徴だ。本書も一見開きにつき二つの文が並ぶ対句(?)の形がとられており、訳者の柴田氏はそれを短歌形式で(!)訳出している。この訳出の苦労の成果は実際に読んでいただくことで味わってもらうことにして、ここでは、訳者あとがきにおさめられている散文形式(つまり直訳)による訳文を読んでもらおう。

怪しげな客

風の吹き荒れる冬の晩 玄関のベルが鳴って
ハテ今夜はお客様だったかしらと出てみても 誰もいません。
それで家に入ると 何やら変なのが 壷の上に乗っています。
あまりに妙ちきりんな姿に みんなハッと息を呑みました。
そいつはいきなり飛び降りて 廊下へ駆けていって
鼻先を壁にくっつけ そのままそこから動きません。
何を言っても 耳に入らぬ様子
みんなわめき散らすのに疲れて もう寝ることにしました。
翌朝になると朝食の席に加わり 程なくして
シロップとトーストを平らげ それに皿の一部まで食べてしまいました。
新しい蓄音機からラッパをもぎ取って
何と言われようと手放しません。
煙突のなかを覗くのが大好きで あと
白いズック靴の底をひん剥くのも好きなんですよね。
時には本から何章分も破り取ってしまったり
壁に掛かった絵を 斜めに曲げて回ったり。
かと思うと日曜はいつも ふさぎ込んで床に横たわり
それが居間のドアのすぐそばなものだから 邪魔だったらありません。
時おり何時間も姿を見せず やっと!
と思ったら 蓋つき鉢のなかにいたりして。
訳のわからない癇癪を起こすこともしばしばで
そうすると 浴室のタオルをみんな隠してしまうのです。
夜になると 家中を徘徊します
眠ったままなんですけどね。
気に入った物があると 勝手に持ち去って
それを護るため 池に投げ入れてしまいます。
というような奴がやって来たのが十七年前のことで、今日に至っても
いっこうにいなくなる気配はないのです。

文を直訳すると、たったこれだけのエピソードである。ストーリーもなければプロットもない。ただ、へんてこな奴がやってきて、家に住み着いて、奇妙な行動を好き勝手やった挙句、いなくなる、なんてことはなくて、あいかわらず居座っている、というひとつのエピソードにすぎない。

以下、このわけのわからない絵本をめぐって、読解のレッスンをしてみよう。


2.

退屈な原則論からはじめよう。絵本とは何か? 「絵本のミニマム」については様々な論者の間でおおざっぱな合意が得られている。《絵と文を有機的に組み合わせてつくった本》(三宅[1995:50])というのがそれだ。むろん文のない絵本もありうる。しかしこれについても、「絵本に文字がないとき、それはいわば選択された無文字なのであって、それ自体『ことば』を用いた表現である」という合意が見られる(古田[1981]、笹本[2001:72])。したがって、「絵本のミニマム」は、〈絵―ことば―本〉の三位一体に、ここで変更されうる(上記の論理から、絵のない絵本もありうる。無文字がことば的な表現であるのと同時に、無-絵は、絵画的な表現である)。要は、ことばだけで成立する表現でもなく、絵だけで成立する表現でもなく、その融合における作品世界の創出が「絵本」のアイデンティティであるということだ。

絵本の起源についても緒論がある。ドイツのハインリッヒ・ホフマンが息子のために描いた『もじゃもじゃペーター』(1845年)が絵本の「起源」である、という説がもっとも行き渡っている(岡本[1988:86-88])。しかし三宅(前掲:57)は、「絵本の歴史の初め」にコメニウスの『世界図絵』Orbis Pictus(1658年)を挙げる。同書は《17世紀の教育界で国際的なベストセラー》となったもので、《第1項で先生が少年に「勉強して賢くなりましょう。」と誘い、神、世界、天から少しずつ、身近かな対象を紹介していく。……150の項目が終わり、先生は手短かに、あらゆることを学んだので他のよき本も読むようにといってさようならする》(前掲:58)。初版はラテン語で、その翌年には英語との対訳版が出版されているが、つまりラテン語教育に役立つ教育書として機能したものである。

この2冊は、かたやイギリスにおけるニュートンジョン・ロックの17世紀、一方ではやっとドイツが統一されたロマン主義自然主義の19世紀と、時代も社会背景も大きく異なっているものの、ここで抽出しておくべきことは、両者ともに子どものための表現技法として、絵本という形式が採用された、という点だ。仲田勝之助(1950→1977:2-3)も次のように言っている。《凡そ文藝には作者の自己表現を旨とし、同好者、共鳴者を一部少数の人士に求めるものと、さうした「作者の為の文藝」と云ふよりは、寧ろ多数のオーディエンスを対象とする「看観客の為の文藝」とがある。前者は貴族的で高級なものかもしれないが、時代が下るに従つてそれでは満足されず、一般子女にも理解されるやうな通俗なものが要求されて来る。平民的な、看客の娯楽のための藝術が欲求される。/繪本はかくの如き要求に應じて出来たもので、子女の為に教養と娯楽とを提供すべく現れた、図解によつて教化しようと試みた通俗藝術である》(一部漢字を現代のものになおした)。仲田は、江戸文学は、平安文学の娯楽性と鎌倉文学の教訓性の両者を併せ持つものであり、「還元すれば啓蒙的」であると言う。これらの諸説に共通するものは、「おんなこども」の「教育・教化・啓蒙」のための娯楽として絵本は成立した、というテーゼである。

フィリップ・アリエス『子供の誕生』(1960年)の出版以降、「子ども」が近代的な――近代という時代においてはじめて成立した――意味統一体であることを出発点としなければならなくなった。いいかえれば、「子ども」は社会的に構築されたものであって、肉体や精神に宿る本質的な標識によってあらかじめ規定されるものではない。そしてこの「意味」は、教育的目的から創出されたことを前提にしなければならない。このことを社会学ニクラス・ルーマンは《教育のメディアは子どもである》(Luhmann[1991=1995:210])と表現している。敷衍しよう。ルーマンの理論はオペレーション(作動、操作などと訳される)から出発するのだが、簡単にいいかえれば、ある区別を用いて(この場合は〈おとな/子ども〉という区別を用いて)、どちらか一方を指し示すこと(「おまえはまだ子どもなのだから云々」などと)である。このような(おとな/子どもの)区別は近代において教育システムが社会的に成立したことと相関しているのであり、つまり、教育システムという全体社会の部分的機能システムが分化する以前の社会(プレ・モダン)において、子どもは存在しなかったのである(同様の議論を柄谷行人は「児童の発見」『日本近代文学の起源』においてしている)。岡田勝は次のように言う。

現代中国文学者の先達のひとりだった魯迅は、あるとき、「日本の子どもたちはうらやましい。彼らには『のらくろ』があるから」ともらしました。絵に目のきいた魯迅が、本気で「のらくろ」をほめたのではありません。そのころの中国には、「のらくろ」さえもなかった不幸をなげいたのです。百年前は世界じゅうどこでもそうでした。子どもは子どもとして認められず、彼らにふさわしい本などは考えられもしませんでした。(岡田、前出:86)

教育システムは、まずは家庭教育によって、後には学校教育によって、制度的に維持されるようになる。産業革命と相関して、中産階級の経済的蓄積がもたらされ、《家庭の団らんや家庭教育》(三宅、前出:64)の大切さと「子ども」の存在が意識されるようになった。

近代教育学の開始期にジョン・ロックが提出した「タブラ・ラーサ」(白紙)の概念は、子どもを、責任のある教育によって育て上げるべきもの、として表象するようになった。人間は、自然に道徳的になるのでもなければ理性的になるのでもない。このような「理念」が教育者を動機付けた。楽しみながら勉強するのが最適であるとする教育論はロック以前にまで遡ることができるが(三宅、前出:58)、娯楽と教育の融合が啓蒙という教育理念の内実となった。

以上のような「原則論」をここでした理由は、ぼくが取り上げるべき絵本について思いをめぐらせていたときに、まっさきに念頭に浮かんだ問いが、「子どものころに読んだ絵本は何だったっけ?」というものだったからだ。ぼくたちは容易に「大人のための絵本」を思い浮かべることができる。実際、ぼくの手のとどく本棚にある絵本は、すべて「大人のための」ものだ。(誤訳問題で話題になった)『エミリー・ザ・ストレンジ』は明らかにハイ・ティーン以上向けだし、『パワー・オヴ・テン』(が絵本といえるかどうか意見が分かれるところだろうけれど)はある程度の教養(宇宙と細胞と原子・電子と……)がないと、その教養が一気に圧縮される感覚を十分に味わうことは不可能だろう。

にもかかわらず、ぼくは「子どものころ……」というという問いを思い浮かべてしまった。つまり絵本は誰の手にも届く「場所」にありながら、観念的には幼少期と連合している。これはなぜか。このような観念連合は特殊なものではない。中川素子は、ある絵本の研究書の「はじめに」を次のような文で書きはじめている。《書店で若者たちが一冊の絵本を手にとり、顔を輝かせながら興奮気味に話している姿をよくみかけます。絵本と向かいあった幼いころが、突然蘇るのでしょう》(中川[2001:i])。

あるいはこう問い直してみてもよい。教育目的に誕生し、啓蒙的特性を備え、幼少期と観念連合している「はず」だった絵本が、いまや「大人向け」の商品として消費されるようになったのはなぜか。

次の節では、この問い直された問について述べる。


3.

再び原則論からはじめる。前節冒頭で述べたように、絵本の定義のミニマムは、「絵とことばの融合した表現であり、どちらか一方が他方の『添え物』になってはならない」というものだった。しかし、三宅によれば、《……絵と文の組み合わせそのものは……長い歴史をもっている。古代エジプトの死者の棺に納められた「死者の書」や、日本の古代、中世を通じて描かれた絵巻物類などを思い浮かべると、機能としては、絵本と同質であることがわかる》(三宅、前出:50)。つまりその表現技法そのものは特殊近代的なものではなく、ありふれている。だが前節で述べたような理由から、ぼくたちが「絵本」という名で意味するところのものは、子どもの誕生――すなわち教育の誕生――とともに生まれた近代的なものである。したがってやはりここでも、「絵本」の意味は、その形態や技法に備わる本質的なものによって規定されるのではないといわざるをえない。

三宅興子は絵本の継時的な整理を行っている。すでに述べたように、絵とことばの組み合わせによって世界を象徴的に認識するという、古代からあるコミュニケーション様式は、『世界図絵』において世界の体系的な把握を目的とした書物に結晶化される。さらに、物語に挿絵をつけた本が刊行されるようになり、ペローやグリムの昔話、伝承童謡やバラッドの絵本化(チャップブック)が盛んになる。また絵本は、日本人や中国人、魔女やサンタクロースのイメージをキャラクター化する機能も担った。

19世紀後半になると、いわゆるファイン・アート(芸術としての絵)とイラストレーションが分離していくようになる。特に、大人のために描かれる視覚芸術と、本などにつけられるイラストレーションは分化してしまい、別のものとみなされるようになっていく。そして、絵と文の組み合わせによる興味深い謎は、子どもの絵本の世界で生き延び、発展していくことになった。(前掲:52)

ファイン・アートの分化は、カントによる形式化に従っているといってよい。カントは三つの『批判書』によって、科学的真理の領域・道徳的善の領域・芸術的美の領域を区別した(日本の多くの大学の哲学科――哲学専攻、倫理学専攻、美学専攻――はこの区別に従っている)。美的な判断(趣味判断)は、対象を悟性のように概念に直接結びつけるのではなく、快・不快の感情に結びつける。これは対象の本質によるのではない(対象は構成されたものにすぎない)。対象がなんであれ、ぼくたちは、たとえば数学の証明であれ殺人事件であれ、その真偽の判断、善悪の判断を「括弧入れ」することで、美醜の判断をすることができる。

美術において、そこに描かれているものが「何であるか」(内容)を問うことなく、その美しさを問うことができるのは、この形式化の能力に依っている(社会学ピエール・ブルデューは、この形式化の能力の階級間の差を明らかにしたが、ここでは触れない)。美学者佐々木健一は、このような美的領域の自律性に関して、次のような例を挙げている。

例えば、旧石器時代の呪術的な絵画を考えてみる。ラスコーの洞窟画のようなものを、画面だけに注目して考えるならば、近代の写実的な絵画と本質的に異なるところはない。対象である動物を写実する模写性と、その模倣において可能なかぎりの迫真性を求める冒険的な精神を認めることができる。しかし、より高きを求めるその冒険的精神は、おそらく呪術的な効果を確実なものとするためのものであったろう。近代的な美学に従えば、このようなあり方は不純であり、本来の目的を逸脱し、異質な目的に芸術を従属させるものであるから、その自律性に反する、ということになる。(佐々木[1995:35)

佐々木は、芸術の機能の多様性の例として上記の例を挙げている。しかし、近代美術はいわばこの「芸術の自律性」という「理念」をリテラルに(字義通りに)受けとめることで前進avancerしてきたのだ。

三宅のいう「絵と文の組み合わせによる興味深い謎は、子どもの絵本の世界で生き延び、発展していくことになった」という事情は、いわばファイン・アートの裏返しの、「絵本のモダニズム」とでもいうべき状況をいいあてている。むろん絵本は芸術ではない。絵本は、教育システムのモダニティと芸術システムのモダニティの奇妙なカップリングの接点において発生・前進している。したがって「芸術の自律性」という理念からすれば絵本は「不純」なあり方をしているといえる。だがむしろ、芸術や教育の自律性という強い抑圧があるからこそ、絵本はその存在を持続してきたのであり、そこにこそ「絵本のモダニティ」のアイデンティティがある。

前節最後の問、「幼少期と観念連合している(実際それは教育と芸術の境界に位置する)絵本が、大人をも対象とするようになったのはなぜか」という問題は、この「絵本のモダニティ」に関わっている。絵本が教育システムと芸術システムの抑圧のもとに成り立っているのだとしたら、この緊張関係のなかで、絵本はその「興味深い謎」を追求するという自律性を持ちはじめる。

今井良朗によれば、《絵本の世界で視覚の新たな問題を積極的に提示しはじめたのは、1920年代末以降のアメリカを中心にした絵本からでしょう。19世紀末、現代の絵本の形態がヨーロッパで確立し、絵本は絵を中心に物語を展開し、連続的に画面を構成していく手法に目が向けられてきました》(今井[2001:2])。奇しくも、芸術と芸術批評の場がアメリカに移動する時期と軌を一にしている。今井が紹介する20世紀の絵本のアヴァンギャルドには、さまざまな興味深い事例があるが、なかでも面白いのがヴァージニア・アレン・イエンセン(Virginia Allen Jensen)の『これ、なあに?』(Was Ist Das?, 1978)と、同様の発想から作られたオリビエ・パンサー(Oliver Ponser)の『Le Joueur de Plume』(1984)である。前者は、「目の見えない子も見える子も みんなで楽しめる絵本」という副題がついており、《発泡性インキによって盛り上がった点や線の造形で構成されて》いる。《指先で触りながらすすんでいくと、ストーリーは、形の変化や感触の違いで場面が展開して》いく。後者は、左ページには通常の絵とテキストが、右ページには浮彫のレリーフ点字によるガイドがついている。(前掲:63-5)

これらが面白いのは、「芸術の自律性」からすればあからさまなポリティカル・コレクトネスのもとに作られているために「不純」きわまりないということができるにもかかわらず(というより、だからこそ)、「絵本の自律性」からすれば、このような知覚的実験は「目の見えない子も楽しめる」ものであってもかまわないということを、PCであることによって明らかにしているからである。絵本のモダニズム、絵本のアヴァンギャルドは、ここに至って、「絵本に絵は(視覚は)必要か?」「絵本に文字は(ことば=記号は)必要か?」という自己言及を推し進めることを成し遂げており、「絵本に本というメディアは必要か?」という自己言及に至るまで、あと一歩のところまで来ている。

芸術との比較に触れておくなら、『これ、なあに?』は、美術批評家マイケル・フリードが批判した、鑑賞者の身体性をも巻き込む演劇性theatoricalityの擁護であり、「純粋な視覚に対する瞬間的な現前」という芸術のモダニティの理念からの退行にすぎない(フリードのこの批判は、60年代のミニマリズムに対する批判という文脈で行われている。Fried[1968])。むしろ、知覚に与えられたセンス・データからストーリーを構成していくという対象構成の欲望と、その時間的持続性を精神分析学的に書いてみせたロザリンド・クラウスの議論の射程に、『これ、なあに?』は在るといってもよい。

Giacometti[Suspended Ball]ロザリンド・クラウスは、アルベルト・ジャコメッティの「吊されたボール」(1930-30年)を例に取り上げ、フリード流の「瞬間的な現前性」が、遅延=持続の中における現前への欲望にすぎないことを明らかにする。「吊されたボール」は、ふたつの客体から成る作品である。ひとつは三日月型の楔であり、もうひとつは吊るされたボールで、亀裂が入っており、その亀裂に楔が切り込んでいる。これらは容易にエロティックな想像を喚起する。ボールは女性器か尻のようであり、楔は男性器か愛撫する道具のようである。だが重要なことは、この対象のイメージは同一性をもたない、という点にある。

ここで起きる動揺は、バタイユが変質(alteration)と呼んだもの、両価性、すべての「アイデンティティ」のそれ自身からそれとは違うものへの分裂――したがって形式の解体という様相を帯びる。というのは、その動作が愛撫なのか切断なのかは明らかでないし、この先明らかになることもありえないからだ。……この意味で、振り子が往復するたびに変質が起こり、アイデンティティは増殖する。唇。睾丸。尻。口。目。時計仕掛けのように、一秒ごとにすべての構成要素の転倒を刻む時計のように。異性愛……同性愛……自体愛……。(Krauss[1992→1997:199-200]、[1993=1995:203-4])

あらためて述べておけば、「身体性を捨象した純粋な視覚において現れる瞬間的な現前性」というフリードの芸術理念に、絵本が従う必要は、そもそもない(芸術ではないのだから)。だが、「瞬間的な現前性」を「持続する時間性の中での絶えざる対象化の欲望」へとずらしてみせたクラウスの批評のほうが、芸術批評として、「前へ」進んでいる。その批評性はけっして「ポストモダン」などではないだろう。


4.

迂回が長くなりすぎたが、ここで『うろんな客』へと戻ろう。

前節でぼくたちは、絵本のモダニズムという論点に到達することができた。しかし、『うろんな客』は1957年に出版されたモダンな絵本――想定読者はおそらく、主に、大人であり、しかし子ども読者を拒んではいない――だが、アヴァンギャルドというには実験性はそれほど感じられない。韻をふんだ対句形式はたしかに独特だが、目新しいというほどではない。ではここでこの作品を取り上げるのはなぜか?

この本の巻頭における、「アリソン・ビショップに」という献辞がそのヒントだ。訳者あとがきによれば、このアリソン・ビショップとは、作家で児童文学研究者でもあるアリソン・ルーリーのことで、ゴーリーとルーリーは、大学以来の友人である。ではなぜこの本はルーリー/ビショップに捧げられたのか。ルーリーによるゴーリーの追悼文(ゴーリーは2000年4月15日に、心臓発作で75歳のときに亡くなっている)にその読解可能性が示されている。

自分は実人生から着想など得ていないとゴーリーはつねに主張していた。が、ゴーリーの初期作品のひとつで、私に捧げられた『うろんな客』に関しては、私は時折こう思ってきた。すなわちこの本は、私が下した、子どもを産もうという(ゴーリーにとっては)理解不可能な決断へのコメントでもあるのではないか、と。……この〈うろんな客〉は誰なのか?最後のページで、一気にそれが明らかになる……むろん、普通なら子供は、十七ともなれば、そろそろ家を出るものだ……。(訳者あとがきより)

ルーリーは1953、55、60年に子どもを生んでいる。そして57年の本書がルーリーのこの決断へのユーモラスなコメントであるというこの読解は、非常に信憑性が高いと思われる。

つまり、突然家族に入り込み、鼻先を壁にくっつけ、何を言っても聞かず、朝食では皿まで食べ、靴底をひん剥くのが好きで、本を破り、ふさぎ込み、癇癪をおこし、眠ったまま徘徊し、十七年たっても居座っている……これはすべて、子どもの記述なのだ。子どもという奇妙なdoubtful客についての、絵本形式をもちいた対象化である――むろんそれは遅延の末、最後のページでやっと対象化が完成するのだけれど。

ぼくが本書を「絵本のハードコア」に数える根拠は、ここにある。つまり、教育システムと芸術システムのカップリングにおいて誕生し、両システムの自律性の抑圧のもとで発展した絵本が、子どもという対象に言及するという、自己言及的な性質を本書は持っている。しかも子どもという対象の構成は、自明のものとして瞬間的に現前せず、最後のページまで遅延させられる。いわば教育システム(というより子どもというメディア)の二次的な(second orderの)観察であるといえる。

子どもという奇妙な、無気味な存在がありありと記述されるのを見て、子どもや大人はどう感じるだろうか? おそらくこのような二次的観察が起こったからといって、教育システムが破綻し、子どもがこの世からいなくなるということはない。むしろこの自己言及はシステムに折り畳まれ、その無気味さは馴致される(馴れ親しんだものへと価値が変容する)。

本書が記述する無気味な子どもの像は、ルーマンがそのオートポイエーシス的システム理論で記述する子どもに重なり合う。ルーマンによれば、

教育は、通常教育的コミュニケーションによる人間の変容と理解されている。……教育概念がコミュニケーションの心への影響を示すという点、社会化とは異なって、意図的に引き起こされた改善、意図した心的システムの変化を示す点では一致している。別言すれば、教育概念は社会システム(コミュニケーション)と心的システム(意識)の因果関連を、計画的で、制御可能であるがしかし常に成功するとは限らない形で、指し示している。(Luhmann、前出:203)

ここでルーマンは新しい教育学的理念を提出するのでもなければ、政策的な処方箋を提示するのでもなく(社会学者だから当たり前なのだが)、ぼくたちの社会が「教育」という名のもとにおこなっているあれこれを、冷徹に記述することに徹している。そしてルーマンがあっさりと下す命題は、「教育は不可能である」(前掲:206)というものだ。なぜなら心的システムはコミュニケーションとカップリングしている(閉鎖したシステムどうしが、お互いがお互いを環境として観察しあっている)にすぎないのであって、いわゆる「伝達」は起こらないからだ。「説教しても無駄だ」と宮台真司が言うのは、こういうことである。説教によって「メッセージ」が「伝達」されることはありえない。たんに「説教する環境」が「観察」され、「学習」する(これこれのことをすると説教する奴がいる)だけだ。

不可解で奇妙で無気味な存在としての子どもは、このように、ルーマンの閉鎖系システム理論によっても記述されている。さらにいえば、ルーマンの理論はモダニティの理論として提出されている。

ゴーリーの『うろんな客』は以上のことから、それほど実験的でもなく破壊精神に満ちているわけでもないが、「絵本のハードコア」に位置づけることができる、というのがぼくの結論である。



【文献表】