木田元、『コンサイス20世紀思想事典(第1版)』(三省堂)

生活世界

『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936)に代表されるフッサールの最後期の思想の中心概念。この時期のフッサールは、己自身の生に対する意味を見失ったヨーロッパ近代科学の客観主義を批判し、科学の発生母体でありながら科学の客観化作業によって覆い隠されてしまった生活世界への還帰を現象学の当面の課題とみなした。科学によって真に存在すると主張される客観的世界とは、ガリレイにはじまる壮大な〈自然の数学化〉の過程のなかで、われわれが生きている生活世界のうえに張りめぐらされた数学的記号からなる〈理念の衣〉にほかならない。単なる方法にすぎなかったものが真の存在と思い誤られたのである。この客観的世界にエポケーを加え、生活世界に還帰しようというのである。しかしその場合、生活世界は

  • 科学的認識の明証性を基づける知覚的経験の世界という意味と、
  • 科学的認識をもう一つの実践として包みこむわれわれの日常的実践の場という意味と、

フッサールのもとでも必ずしもうまく調停されない二重の意味を負わされている。彼の世界概念を継承した人たちのうち、ハイデガーのそれは後者に近く、メルロ=ポンティのそれは前者に近い。