太郎のなかの見知らぬ太郎へ@岡本太郎記念館

T@RO


青山の岡本太郎記念館にて開催されていた、椹木野依企画による展覧会に(1月21日で終了)。
ゲストキュレーターが椹木野依で、下記のようなチャンス・オペレーション的手法で展示内容が構成された。

『太郎のなかの見知らぬ太郎へ』

ゲストキュレーター  椹木野衣

◎本展は、次のような手順で構成された。

  • まず、記念館にある太郎の所蔵作品のうち、平面作品を全点インデックス・カード化する。
  • 次に、このカードを記念館二階の居室から庭に向けて数回に分けて散布する。

その後、庭に下り、ランダムに散らばったカードを端から順に拾って行く。(その際、カードの天地は考慮しない。)

  • 全点拾い終わったら、トランプを切る要領でもう一度、念入りにカードをシャッフルする。
  • もういちど二階の居室に戻り、展示室の壁に対し左から右へ、上から下へと、できるだけ隙間が生じないよう工夫しながら、作品をカードの並びに沿い配置していく。(この段階では模型を使用。作品の天地左右が逆になっても頓着しない。)以下、同じ要領ですべての壁を隙間なく埋めていく。
  • 最後に、太郎が好んで使用した原色系の色=赤・黄・緑・青・白を夫々の壁の下地に対応させるため、あみだ籤を使って偶然にしたがい配分する。実際の展示は、この下地の上に配置されていく。

◎このような手続きを取った理由は以下の通り。

  • 岡本太郎の展覧会を開く場合、あたりまえのことだが主題は「岡本太郎的なるもの」に関連づけられるか、あるいは構成者が個人的な関心から設ける主観的なテーマに集約されがちである。
  • これでは、展覧会が岡本太郎の生前に規定された「岡本太郎的なるもの」を超え出ることはむずかしい。
  • それはそれで意義があることだが、これを繰り返していくと、岡本太郎が既成の「岡本太郎的なるもの」――縄文であるとか、呪術であるとか、太陽の塔であるとか、爆発であるとか――へと向けて、次第に収縮していきかねない
  • こうした悪循環を抜け出るため、この展覧会ではゲスト・キュレーターである僕個人の関心や「岡本太郎的なるもの」は一切排除し、その構成を可能な限り偶然に委ねることにした。
  • その際、キュレーターのみならず岡本太郎自身の意図も排除することが望ましい。したがって作品の天地左右・年代順・大きさ、展示の精緻さ、完成/未完成による差別化はすべて度外視し、カードの操作にしたがい機械的に、ただし壁一枚で一様の大画面となるように心がけた。この展覧会に来るひとは、ひとつの壁でひとつの太郎作品と考えてほしい。あるいは、壁すべてでひとつの太郎作品であると。

◎そこから浮かび上がってくるのは・・・?

  • このような展覧会のやり方は、故人を回顧する形式のものとしては前例のないものであろう。人によってはおしかりを受けるような類いの発想かもしれない。
  • けれども僕らにいま必要なのは、岡本太郎や美術の「教え」をまじめに守ることなどではなく、その教えをいったんバラバラにほぐして、この息苦しい時代を生きる活力として、もう一度組み直し、未知へと向けて再発見することではないだろうか。これは、その絵画バージョンであり、そのための第一歩でもある。
  • そこから、岡本太郎すら想像していなかったような「なにか」が、「岡本太郎なるもの」に反し浮かび上がってくれば、展覧会は成功である。
  • さて結果は……。

さて椹木の目論見は、つまりチャンス・オペレーションによって乗り越えたかったものは、「縄文的」だとか「爆発」だとかいった、岡本太郎を拘束している「岡本太郎的なるもの」の地平であったわけなんだけど、ぼくがこの展覧会から受け取った印象は、ほかでもない、「縄文的」だとか「爆発」といったキーワードで言い表したくなるところのものだった。

ひとつには、椹木の「目論見」を、ギャラリーに行く前に読んでしまったこと(上記の能書き)、そこから「『岡本太郎的なるもの』とは、じゅうらい、『縄文』だとか『爆発』だとかいったキーワードで集約されるとされているところのものなのだな」という知識を得てしまっていたからかもしれない。ぼくは以前にはそのような「太郎像」をもっていなかったのだから(シュルレアリスムにかかわったことはあるにせよ、基本的にはポップアートとして受容されていた、と認識していた)。

もうひとつには、ぼくが諸星大二郎の漫画を読みすぎている、という点にある(モチーフが似すぎている)。(笑)。

だが、(以下考え中)