レポート教えてちゃん。

via:某マイミクの先生

(1)パレートは行為を「論理的行為」と「非論理的行為」とに二分した。
(2)「感情的行為」と「伝統的行為」とを「非合理的行為」と呼ぶこともある
(3)純粋価値合理的に行為する人間は、予想される結果を無視する
(4)ブルーマの立場は「象徴的相互作用論」と称される
(5)「象徴的作用論」は行為者の内面に一切言及しない
(6)ヴェーバーの「社会学」は「理解社会学」と称される
(7)ヴェーバーは「理解心理学」を全面的に否定した
(8)「悪貨は良貨を駆逐する」とは「限界効用逓減の法則」のことである
(9)ジンメルは「カヴァー法則理論」に依拠した行為論を展開した
(10)社会システム論は「相互作用主義」を全面的に否定する
(11)パーソンズの「『主観的』とは、『行為者の視点』からながめられていることを意味する」
(12)エルスターは「行為は連続的な二つの濾過操作の最終結果」と考えた
(13)「ご飯を食べないので満腹である」という命題は「空腹なのでご飯を食べる」という命題の「逆」である
(14)ハーバーマスの「討議」(Diskurs)は「真理性」および「正当性」という「妥当性要求」が満足されない場合に発動される

↑すべて○×問題です・・・

昔「レポートコピペ問題」って話題があって(レポートコピペ問題中間報告。 - suneoHairWax)、個人的には「出題形式が悪い」というか「設問が悪い」としか思わなかったんだけど、なぜなら「…について論ぜよ」とかって設問だと、「論ずる」って動詞の意味の内包をその設問中で説明しなければならないはずで、学生が「『…』ということをこの先生は知りたがっているのだな、よし、教えてあげよう」とか「『…』ということを知っているかどうか聞きたがっているのだな、よし、ググれば簡単に『知る』ことができるということを先生に教えてあげよう」と(意図的に)勘違いすることがあっても当然。と思ったからだ。
でー、(ないとは思うけど(弱気))ぼくが教員になったらー、試験は「問題100問マーク式」(社会学センター試験の導入)にしようかとか、そんな妄想を抱いているのだけど、上に引用した今年の創価大学の某先生のレポート(試験じゃないんですよ!これ、レポート課題なんですよ!)に至ると、○か×か、って、今は亡き「ウルトラクイズ」のハワイ(だかグアムだか忘れた)の泥んこクイズみたいですね。ぼくの「マーク式」がハワイに上陸する前の「機内ペーパークイズ」だとしたら、もうこの問題は上陸した後の問題だから先に進んでいるという(笑・中高年以上にしかわからないディテール)。
レポートとか試験とか調べ物とか、人に聞くのは「良いこと」だと思うけど、この問題って全部、ググれば一番上にヒットしたサイトで解けるじゃないですか。なんでそれをSNSのトピックできくかなあ??ググるのもめんどくさくて他人任せってことなのかなあ。(いちおうこのトピックに最初についたレスが、「以下のサイトに答えが載ってますよ!頑張って!http://www.google.com/」というもので、正しいこと極まりないんだけど・笑)

いま見て思ったんだけど、これ、いくつかは受験テクニックで解けますね。「一切…しない」とか「全面的に」とかの極端な修飾語句が入ってれば×にできるという。

ところで「カヴァー法則理論」ってC.G.ヘンペル?そんなのまで教えてるの?あの先生。