今回の総選挙において共産党以外の選択肢があるだろうか?

郵政民営化の否決で衆議院の解散となった。9月11日の総選挙は郵政民営化に賛成か反対かが争点となる選挙だそうだ。少なくとも小泉はそう主張している。もちろん亀井のようなダメなオヤジは「田舎に郵便局がなくなったらどうするんですか」などと激しく論点をずらそうとする。また、「この総選挙は郵政民営化のみが争点などではない」という対抗的文脈を引き合いに出そうとする党もある。

重要なのは、この総選挙が【本当に】ワン・イシューの選挙になりうるのか、ということだ。郵政民営化が必要であるなどということは自明だ。「構造改革の本丸」などであるわけがない。たんに小泉内閣でなければできそうになかったというだけのはなしだ。したがって【本当に】ワン・イシューの選挙であるのならば、小泉自民党に投票すればよい。そのばあい、あまりにもどうでもよい選挙となるため、私は投票になど行かない。

だが、投票行動の「争点」を「ワン・イシュー」にしたからといって、選挙結果の「効果」が「ワン・イシュー」になるわけがない、という点が問題なのだ。今回自民党過半数議席を獲得し(おそらくそうなるだろう)、郵政民営化が法案として可決されれば、それは国民によって支持された自民党が公約を果たし、「構造改革」を推し進める強い自民党の成立を意味する。あたりまえだが「構造改革」などかってにやっていればよい。財政(政治的決定によってなされたリスクテイク)の責任は政治的決定によって負担すればよい。そんなことは「イシュー」になりようもない。

問題は、この選挙によって、05年体制とでもいうべき、「強い」自民党が成立してしまうということだ。「反対勢力」と小泉がよぶバカ政治家が切られ、バカでなくなった強い自民党の成立。これこそが小泉が成し遂げてしまうことだ。おそらくそうなってしまったら、今後「ワン・イシュー」の選挙など起こしようもない。今回だけが「ワン・イシュー」だった、ということになる。当然そんなものは「ワン・イシュー選挙」などではない。

繰り返すが、郵政民営化など勝手にやればよいし、「構造改革」など勝手に推し進めればよいし、財務的決定の責任負担を政府が負うのは当然のことだ。だがそれは小泉内閣、もしくは「強い」自民党でなければできないようなものではない。共産党にだってできる。

たしかに共産党には有能な政治家はあまりいないかもしれない。だが共産党が「確かな野党」などではなく政策決定の位置に置かれれば、政策決定の責任を負わなければならなくなる。いやがおうでもその責任を果たそうとするだろう。

共産党には経済学者だっているだろう。彼/彼女らは大学でマル経しか勉強せずに、数学には弱いかもしれない。だが一応経済学の学士号は持っているのだから、竹中程度の「経済学」は理解できるに決まっている。なんなら竹中を内閣に入れればよい。政策決定の責任を負うようになれば、「庶民の痛みがわかる……」などという頭の悪いお題目を唱えている暇などなくなる。

今回の総選挙で、われわれに与えられた可能な選択肢は共産党以外にないといってよい。創価学会会員は公明党に入れればよいだろうが、民主党に入れるような逃げをうつぐらいなら投票などしなければよいではないか。必要なのは永久革命=無限に反覆されるブルジョワ革命=可能なるコミュニズムなのだから。