トポス=テーマ=ローカルな場所。

  • Luhmann, Niklas (2000) ‘Familiarity, Confidence, Trust: Problems and Alternatives’, in Gambetta, Diego (ed.) Trust: Making and peaking Cooperative Relations, electronic edition, Department of Sociology, University of Oxford, chapter 6, pp. 94-107, http://www.sociology.ox.ac.uk/papers/luhmann94-107.pdf.

馴れ親しみの状況は、書字の発明によって、読み書き能力によって、そしてとりわけ印刷技術によって、数世代を超えて劇的に変化してきた[6]*1。いまや、ある人にとっては永遠に馴れ親しみのないものかもしれないような、莫大な量の知識を蓄えることができる。またある人にとってはそれを知り、使うことができるのだが。第一に、これらの発展は社会的緊張の増大を必然的にもたらした。すでに、トピックthe placesを覚えること、考えを発明(それは「発見」を意味したのだが)すること、効果を増幅すること、などに重きを置く精巧な修辞技術は、この新しい状況に対する反応だったのだ。それは話し手に対する挑戦である。なぜなら、もはや聴衆は秘密の知識から妨げられてはいないからだ。聴衆は、そのテクストを知っているかも知れず、もっと多くのテクストを、ほかのテクストを、よりよいテクストをさえ知っているかも知れない。印刷技術はその問題を拡大することで、修辞学を廃れさせた[7]*2。世界自体が、神によって部分的に理解可能な文字で書かれたものとして、一冊の本に比べられるかもしれない。すぐにプロテスタントたちが、哲学者が、科学者が、それを異なった方法で読み始めた。馴れ親しみのないものはもはや、ありうる意見の不一致、緊張、葛藤をさえぎらない。社会的世界は「利害-関心」の観点から再構築される(Raab 1965: 157ff., 246ff.; Gunn 1969; Hirschman 1977)。いまやあなたは計算し、利害関係を出し抜こうとするかもしれない。あなたは頼りになる他者の利害を使う方法を知ろうとするかもしれない。なぜならそれらは利害関係なのだから(Gunn 1968)。

 これらの考察は、馴れ親しんでいないものを処理する我々の様式を、印刷技術がすっかり変えてしまったのだという仮説へと導く。馴れ親しみと馴れ親しみなしとのあいだの区別は薄れた。象徴化を通して馴れ親しんだものに馴れ親しんでいないものを再導入する宗教的技法は、以前の有効性を失った。もはやコスモロジカルな水準では、s´ymbolon とdiábolon、よい力と悪い力を区別する必要がなくなった。これらのスキームは、特定の利害関係を与えられ、知識と力が肯定的な方法で用いられるのか否定的な方法で用いられるのかという問題に取って代わられる。そういうわけで、信用と、やがては信頼が決定的な問題となり、馴れ親しみは全体としての社会にとっての機能を持たない純粋に私的な環境(ミリュー)[8]*3として生き残った。馴れ親しんだ環境における諸差異は、いまや文化的・国民分化を、あるいは社会化の分岐した結果を説明する。つまりもはや人間的状況(人間の条件)を描写しやしないのだ。

*1:異なる観点からは、Horton (1967: 60f)を見よ。

*2:我々もよく知っているように、この効果が実現するには数世紀かかっている。ラテン語の修辞学は制度化され、学校で教えられた。16世紀には、読書を通しての「自己修養」が強調されたにもかかわらず、教えることをやめることは確かに不可能だった(Ong 1967; 1971; 1977)。

*3:実際、18世紀中に、「環境(ミリュー)」という用語はその意味をそれに応じて変えた。それはもはや仲介する立場、極端なものの間の中間を意味せず、具体的な周囲、19世紀が「環境environment」という用語をそのために発明した何か、を意味した。