ホフスタッターが言う意味での《もつれたハイアラーキーtangled hierarchy》。〈システム/環境〉差異は階層化されない。

ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環

ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環

音楽の捧げもの』のなかには、ことさら風変りなカノンがひとつある。『諸調によるカノン』とだけ名づけられたそれは、三声部をもつ。最上声部が王の主題の変形をうたい、その下で、二声が第二主題に基づくカノン和声をつくる。この二声の低いほうは主題をハ短調でうたい(これがカノン全体の主調となっている)、高いほうは同じ主題を音程五度の間隔で上向きにうたう。しかし、このカノンがほかのどれとも異なるのは、それが終るとき――というか、終るかのように思われるとき――もはやハ短調ではなく二短調になっていることだ。ともかくもバッハは、聴き手の真ん前で【転調】をやってのけたのだ。そしてそれはまた、この「終り」が始まりへとなめらかに連結するような構築にもなっている。したがって、その過程を反復し、ホ調で戻っていけば、ふたたび始まりと一緒になることができる。こうした転調の連続は聴き手の耳を主調からぐんぐん遠のいた領域へと導き、いくつかくり返すうちに、最初の調からどうしようもなく遠のいていくように思われる。ところが不思議なことに、このような転調をかっきり六回くり返した後、なんと原調のハ短調が取り戻されるではないか!全声部は最初のときより正確に一オクターブ高くなっており、ここでこの曲が途切れても音楽的に快いだろう。それがバッハの意図だったらしい。しかしバッハは明らかに、この行程が無限につづきうるという含みをにおわしてもいる。「転調が高まるとともに、王の栄光も高まりゆかんことを」と余白に記したのは、おそらくそのためだ。この潜在的無限の側面を強調するために、著者はこれを「無限に上昇するカノン」と称したい。
このカノンで、バッハは、不思議の環という概念の最初の例を提示してくれた。「不思議の環」現象とは、ある階層システムの段階を上へ(あるいは下へ)移動することによって、意外にも出発点に帰っているときの現象である。(ここでのシステムは、音階組織である。)不思議の環の生ずるシステムを表現するために、著者はときおりもつれた階層という用語を用いる。今後、不思議の環の主題はくり返し登場する。それが隠れていることもあるだろうし、公然と姿を見せることもあるだろう。上下だったり、さかさまだったり、逆もどりだったりする。「求めよ、さらば見出さん」と、私は読者諸氏へ忠告する。[26頁]

GdGでは「もつれた階層」が用いられてますが、「生活世界」論文では「不思議の環」が用いられてますね。