はてなダイアラー絵本百選〜質疑応答編

# ebony 『とても興味深く読ませていただきました。ちょっと分からなかったことがあるので1点だけご質問させていただきます。絵本が「両システムの自律性の抑圧」のもとで発展したというくだりが難しかったです。システムがそれ独自の区別を用いたコミュニケーションの接続なのであれば、「自律性を抑圧」ということにはならないのではないでしょうか。これは「絵本は、絵本としての同一性を、どのような区別によって維持しているのか」という質問になるのかもしれません。』

丁寧に読んでいただいてありがとうございます。「抑圧」という言葉を使うのは、ぼくとしても冒険でした。ですからここに疑問を感じていただけるのは、非常に的確な指摘だと思います。

まず、ここで「抑圧」は、「絵本の自律性【を】抑圧する」という意味ではなく、「両システムの自律性【が】抑圧する(として働く)」という意味で使っています。誤解を与える表現だと思いますので、後ほど修正します。

先に「冒険」と述べましたが、それは、当該箇所はルーマンのシステム分化の話題の箇所であるにもかかわらず、ルーマンには(おそらく)無い*1論点である「システムの自律による抑圧」をあえて扱ってみせたからです。ここでぼくは、クラウスやフリードの邦訳が所収されている『モダニズムのハード・コア』の中での以下のような議論を前提としています。

柄谷 昔で言えば「政治と文学」とかいうふうに、科学と道徳を含めた政治に対して芸術を自律させようとしてきた運動があった。ぼくは、とくに冷戦後、それが誤った勝利宣言をした結果、それに対してPCのような短絡的な政治が前面に出てきたという気がするんです。文学の自律性というのは、それを抑圧しているものに対して言う必要があったわけで、いま文学の自律性といっても、もう何の意味もないんですよ。

クンデラが『裏切られた遺言』のなかでラシュディのことを言っているんですね。ヨーロッパ人は、これはイスラム教の批判だが、表現の自由があるから認めなければならない、という読み方をしている。しかし、クンデラは、いや、これは「小説」なのだ、ラブレーセルバンテスに始まるユーモアという精神の形態なのだ、そういう「小説」の形態そのものがイスラム原理主義者を刺激しているのであって、イスラム教批判だから刺激しているのではない、と言うんです。ぼくが思うに、クンデラは、ある意味でホメイニを歓迎していると思う(笑)。というのは、チェコにもその意味で「小説」の意味がなくなっちゃったのだから。

浅田 スターリンがいたから、文学の自律性に意味があったわけでしょう。

柄谷 いまそれを保証してくれているのはホメイニの亡霊だけ(笑)。

磯崎 抑圧がないと小説は成立しないということか。

柄谷 というよりも、対抗する領域がないと駄目だということですね。……ところが、芸術の自律性を言う人たちは、それが最終的に他の領域から解放されるかのごとく考えてきた。しかし、他との緊張がまったくないということになると、自律性の意味そのものがなくなってしまう。何もなくなってしまう。
(28-9ページ)

浅田 今の話は、道徳の領域からPCのような形でダーッと押し寄せてくるものに対して、逆にいわば科学の領域でいけるところまでいってしまったほうがいいという話なんだろうけれど、その二つはある意味で互いのミラー・イメージになっているんじゃないの。

岡崎 対立しているということですか。

浅田 というか、同じ事態の表と裏になっているのではないか、と。

岡崎 そうなっちゃうかもしれないですね。

柄谷 たとえばカントのサブライム(崇高)という概念は自然科学と裏腹になっているわけでしょう。たとえば、夜空に稲光が走ると、昔なら畏れたわけですけれど、その原理がわかってしまうと、安全な場所に立ってさえいれば「ああ、何と崇高な光景だ」とか言える(笑)。サブライムそのものは科学以前の宗教的畏怖の念に似ているけど、根本的に違う。サブライムが成立するには科学的認識がいるわけです。
(33ページ)

これらの話はとうぜんカントが前提になっているわけですが、ぼくはここでそれをある意味無批判に、ルーマンのいうシステムの自律性にあてはめてみたわけです。つまり、芸術システムの自律性と、教育システムの自律性という、ふたつの自律性の間で、絵本はどちらにも包摂されることなく自律的に発展することになった、と。そのような「発展」はある種の「抑圧」のもとでしか成り立たないのではないか、あるいはシステムの「自律性」そのものが、他のシステムとの緊張関係がないと成立しないのではないかというのがぼくの考えです。

これは、いわゆる「ぼくはこう思う」というレベルのはなしで、経験的レファレントをもたないので、生産的な議論ではないかもしれませんが。

それから、絵本の同一性はいかなる区別によって維持されるのか、という点ですが、いまのところ<絵本/非-絵本>という区別しかないのではないか、と思います(笑)。まあ、思い浮かばないというだけですが。

モダニズムのハード・コア―現代美術批評の地平
浅田 彰

発売日 1995/03
売り上げランキング 151,087

Amazonで詳しく見る4872332032

*1:こともないのかもしれませんが