青年論関連
弘文堂から。
青年[youth]
今日のような青年を典型的に生み出したのは西欧近代である。ルソーが『エミール』(1762)において青年期を、もはや子どもではないけれども、いまだおとなではない時期として見いだしたのは、ワット(James Watt 1736〜1819)が蒸気機関を発明したのとほぼ同時期だった。産業化が進むにつれて学校教育の普及とともに青年期は延長され、制度化された。青年は近代の社会体系の中では、生産体系を支えるために、公的組織と国家が公教育などを媒体に創り出した存在であるといえる。日本でも明治の初期に小崎弘道(1856〜1939)が「young man」を「青年」と訳したとき、この青年は近代化を担う知識青年を意味した。だが青年は既成の社会秩序に適応し、組み込まれるだけではない。青年は自己のアイデンティティを獲得すると同時に自らを支える共同性の型を分泌する。この意味で青年は本来新秩序創造的である。青年はしばしば固有の青年文化を形成するが、それは遊び価値に根ざしているためおとなの産業文化と抵触することが多い。その場合に青年は、組織に過剰同調して青年文化を「卒業」するか、組織からドロップ・アウトして青年文化に固着するか、あるいはおとなの世界に役割を引き受けて入りながら青年文化を内面に持続する二重意識を生きるかの、いずれかの道を歩むことになる。(栗原)