馬場靖雄『ルーマンの社会理論』

(2001)

固有値 Eigenwerte
18, 19, 76, 83, 181, 182

第一章 複雑性



「それならば論理学も経験科学のひとつである」と言うひとがあれば、それは誤りである。ただし次のことは正しい。同じ命題が、あるときは経験的にテストされるべき命題として、別のときにはテストの規則として取り扱われてよいのである。(Wittgenstein[1969=1975:82])
後者の場合、その命題は固有値として扱われていることになる。
固有値は、そこから始めなければならないという意味では端緒であると同時に、いつでもさらに遡りうるという点では絶対的な固定点ではない。しかし、遡るためには何らかの端緒から始めねばならないということ自体は「絶対的」である。(19)

棄却
156, 159, 163-166, 217, 218


……機能システムが他の機能システムと取り結ぶ関係は、調整も合理化も不可能な「衝突」ないし「接合」以外ではありえない。……
この「衝突」ないし「接合」は、あるシステムの作動が他のシステムによって(否定されるのではなく)「拒絶」あるいは「棄却」(Rejektion)されるというかたちで現われてくる、法システムは、「支払いか、それとも不支払いか」という経済システムのあらゆる作動に随伴する問いに対して、諾(支払い)とも否(不支払い)とも答えない。法システムはこの二分法自体を(少なくとも、それを作動の第一の前提とすることを)棄却し、別の二分法を対置する。この時、独自の区別に基づく法システムの作動は経済システムの作動にとって、諾でも否でもない第三の値、すなわち棄却値(Rejektionswert)を形成する。逆も成り立つ。

ある機能システムは、〔自分とは〕別のシステムにとっては選択状況は別のコードによって構造化されているということを、無視しうる(無視しなければならない)。ゴットハルト・ギュンターは、ある区別に関するこの無関連の立場を、棄却値と呼んでいる……。純粋に論理的な根拠からいえば、二分コードに関連して用いられるか、あるいは二分コードの中に導入される第三の値はすべて棄却値である。(『社会の経済』)
そして棄却値を含むような選択肢の形成を、やはりギュンターに従って、選言・連言とは区別される「超言」(Transjunktion)と呼んでおこう。(156-157)


法がリスクの問題を自己のパースペクティブの内部において適切に扱えば扱うほど、そのこと自体が他のシステムにとってはひとつのリスクとして現われてくる。(158)