社会システム理論 第2章9節(後半)10節
金曜(2006年7月7日)の三田ルーマン研究会。
すみません、私事で更新が遅れました。
Social Systems (Writing Science)
- 作者: Niklas Luhmann,John Bednarz Jr.,Dirk Baecker
- 出版社/メーカー: Stanford University Press
- 発売日: 1996/01/01
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Soziale Systeme: Grundriss einer allgemeinen Theorie
- 作者: Niklas Luhmann
- 出版社/メーカー: Suhrkamp Verlag AG
- 発売日: 2012/11/01
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- 作者: ニクラスルーマン,Niklas Luhmann,佐藤勉
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- 第2章「意味」
- 第9節「象徴的一般化と予期」(後半)
- 第10節「意味とコミュニケーション」
隔週で行っています。
次回は7月21日(金)、『社会システム』第2章11節の予定です。
ご家族ご近所お友達おさそいあわせのうえ、ふるってご参加下さい。
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podcastingしました。
podcastingページ左下のという画像をiTunes(などのpodcasting対応アプリ)にドラッグ&ドロップすれば聞けます。
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レジュメと配布資料:http://www.geocities.jp/hidex7777/mls/
今読んでいるのは『社会システム――一般理論の概説』第2章「意味」:
- 第02章 意味
- 01 はじめに
- 02 意味概念をめぐって
- 03 意味と情報
- 04 意味と世界
- 05 意味概念の展開
- 06 意味の三つの次元
- 07 体験と行為
- 08 三つの意味次元の分化
- 09 象徴的一般化と予期←イマココ
- 10 意味とコミュニケーション←イマココ
- 11 意味の形而上学をこえて
です。
第9節はぜんぶで13段落、今回は9段落目から最後まで進みました。
トピックは「予期」です。
第10節は4段落しかありません。最後まで進みました。
以下キーワードによる要約をしていきます。前回(1から8段落目)の復習も兼ねて、ざっと見てみます。
第9節「象徴的一般化と予期」
- [02-09-01]
- 意味の自己言及的な処理=Akk/Vir差異から出発すること
- これは【象徴的一般化】を必要とする
- 意味の自己言及的な処理=Akk/Vir差異から出発すること
-
- 象徴/象徴的……諸統一がそこにおいて形成されるメディア
- 一般化……ひとつの多様性を作動的に処理する統一の機能
- [02-09-02]
- [02-09-04]
- いかにして意味は自己言及的システムの過程の水準で使用されうるのか?
- 自己象徴化
- 自己抽象化
- 自己関係づけの組織化→再利用可能性
- いかにして意味は自己言及的システムの過程の水準で使用されうるのか?
- [02-09-04]
外に出て、たくさんのゴミ箱のなかから、どれが自分のものであるか、言葉も、名前も、概念すら必要とせずにわかる。
- [02-09-05]
言葉は(ものごとと同様)記号として使用されうること、そして言語から独立して存在するなにかに対する指示として用いられうることを否定するものはいないであろう。しかし言語それ自体を、たんなる記号のネットワークとしては理解することはできない。その機能は、所与のなにかを指示することだけではないし、主要な機能でさえない。(…)その真の機能は、象徴の助けを借りて意味を一般化する点にあり、象徴とは、象徴が成し遂げること【それ自体である】ところのものであって、【他のなにか】を指示するものではない。
- [02-09-06]
- 一般化は、システムと環境の複雑性の落差の処理に役立つが、その他にさらに2つ
- [1]一般化は、意味次元の多様性を架橋し、それらを意味のどの特定の契機においてもアクセス可能なものにしつづける
*appräsentieren/appresentは現象学事典〔ISBN:4335150334〕によれば「付帯現前化」だそうです。
- [02-09-07]
- [2]意味の一般化は事実上、あらゆる論理学的問題の解決を可能にする
- 意味の一般化は、諸地平を現前させ続け、差異の観点からすれば、差異の意味統一へと立ち返ることを可能にする
hidex余談。ここでは矛盾律がとりあげられている。矛盾律とは、ある命題とその否定が共に真であるような状況はないよ、という律である。この律が破られればそれは論理学的には「問題」である。ルーマンが「差異の意味統一」といっているのは、ある命題【と】その否定、という「差異」が、「ひとつの差異」として取り扱い可能である、という事態。ある命題について検討し、また次の時点ではその否定について検討し、というふうに、「問題」に「有意味に」取り組むことができる。
ウンチク。ちなみに「矛盾律」という訳語に当てられている故事成語の「矛盾」は、矛盾律からいえばなんの問題もない。(故事成語の)「矛盾」は、ある命題とその否定というカタチをとっていないし、共に真であるということが立証されていないのだから。〔α〕:「この矛はあらゆる盾をつらぬく矛である」の否定は〔β〕:「この盾はどんな矛によってもつらぬくことができない」ではなく、〔?α〕:「この矛はあらゆる盾をつらぬく矛ではない」であって、αと?αが共に真であれば、矛盾であるが、αとβは、検証によって、どちらかが偽であることを導き出す余地がある。よって論理学的問題になっていない。
- [02-09-08]
- 計算やコミュニケーションが一般化に結びつくとき、それと同時に意味処理のための、顕在化/潜在化‐差異という、作動上の差異図式と、区別/指し示し‐差異は、引き合いに出されない
- 一般化は、それらが生じる形式や方法からきわめて独立した速記記号〔短縮形〕であり、
- それは意識の観念がその産出を負っている神経生理学的過程に還元することができないのと同様
- この独立性は、それを通して可能になる接続に起因する
- 一般化の独立性は地平の拡充によって支持され、また一般化の独立性がその地平の拡充を可能にする
- そして一般化の独立性自身が、それによって獲得した形式を通して、作動上の意味処理のための構造として現われてくる
- [02-09-09]
- 予期(Erwartung/expectation)という概念を導入
- 象徴的一般化はあらゆる意味の指示連関構造を、予期へと凝縮する
- 予期(Erwartung/expectation)という概念を導入
- [02-09-10]
- 社会システム理論では主に行動の予期を取り扱う
- 諸社会システムの構造は、一般化された行動予期として定義されうる
- 社会システム理論では主に行動の予期を取り扱う
- [02-09-11]
- 予期は、諸可能性の中からの狭いレパートリーの中間選択によって形成される
- [02-09-12]
- 予期を、類型的なものや規範的なものへと一般化することは、二重の機能をもっている
- 1.それは指示された諸可能性の全体からひとつの選択を実行し、複雑性を再生産する
- 2.事象的・時間的・社会的諸次元の非連続性を架橋する
- →一般化は構造化された複雑性(組織化された複雑性)〔中間選択〕を創発
- 予期を、類型的なものや規範的なものへと一般化することは、二重の機能をもっている
- [02-09-13]
- この二重の機能が相関しているという仮説は、冗長な複雑性が進化的・構造的過程〔処理〕においていかに使用されるかを説明する
- 理論史的には、予期はカセクシス的に〔リビドー備給的に〕対象へと関係づけられている、という想定にとってかわる
- この二重の機能が相関しているという仮説は、冗長な複雑性が進化的・構造的過程〔処理〕においていかに使用されるかを説明する
第10節「意味とコミュニケーション」
- [02-10-01]
- 意味にとっての「担い手」を見つけることは不可能
- 意味は、それがそれ自身の自己言及的再生産を可能にするのだから、それ自身を担っている
- 意味にとっての「担い手」を見つけることは不可能
- [02-10-02]
- 意識とコミュニケーションのどちらを作動の形式として選択するか、ということはひとつの個別的出来事においては可能ではない
- ひとつの個別的出来事においては、意識とコミュニケーションは排他的関係になく、しばしば重なり合う
- 意味は、身体的生の感覚に固定され、そうして意識として現出する、というシークエンスに、それ自身をはめ込むことができる。
- 意味はまた、他者の理解を含むシークエンスにもそれをはめ込むことができる。そのとき意味はコミュニケーションとして現出する
- 意識とコミュニケーションのどちらを作動の形式として選択するか、ということはひとつの個別的出来事においては可能ではない
- [02-10-03]
- 意識もコミュニケーションも、意味のための特権的担い手ではない
- 相互関係づけの形式によって初めて意識やコミュニケーションが浮き上がってくる
- 「担い手」は【差異】である
- 意識もコミュニケーションも、意味のための特権的担い手ではない
- [02-10-04]
- このことをみる困難さは、みようと試みるどんな意識も、閉じたシステムで、意識の外へと出ることができない、ということにある