社会システム理論 第2章8節(後半)

金曜(2006年5月19日)の三田ルーマン研究会。

Social Systems (Writing Science)

Social Systems (Writing Science)

Soziale Systeme: Grundriss einer allgemeinen Theorie

Soziale Systeme: Grundriss einer allgemeinen Theorie

社会システム理論〈上〉

社会システム理論〈上〉

  • 第2章「意味」
    • 第8節「三つの意味次元の分化」(後半)

次回研究会は6月2日(金)、『社会システム』第2章9節の予定です。
ご家族ご近所お友達おさそいあわせのうえ、ふるってご参加下さい。



podcastingしました。

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はてなユーザの方ははてなRSSが便利です。と思います。
レジュメと配布資料:http://www.geocities.jp/hidex7777/mls/
(先に謝っておきますがレジュメ4ページ「相対的」とある書き込みは「総体的」の間違いです)


今回はとくに補遺というほどのものを付け足す必要はないかと思いますが、一ヶ月はさんで前後半に分けてしまったので、おさらいしましょう。

今読んでいるのは『一般理論の概説』第2章「意味」:

  • 第02章 意味
    • 01 はじめに
    • 02 意味概念をめぐって
    • 03 意味と情報
    • 04 意味と世界
    • 05 意味概念の展開
    • 06 意味の三つの次元
    • 07 体験と行為
    • 08 三つの意味次元の分化
    • 09 シンボル的一般化と期待
    • 10 意味とコミュニケーション
    • 11 意味の形而上学をこえて

です。

↑のように11節あるうちの(節タイトルは邦訳においてつけられたものです)06節で提示された「意味は三つの次元から成る」というテーゼを受けて、今回は08節、「ではそれらの各次元はいかにして分化していったのか」について論じた箇所というわけです。

08節はぜんぶで15段落から成っています。

01段落目冒頭で

事象次元、時間次元、社会的次元が孤立して現われることはありえない。それらは結び付けられていなければならない。

と述べ、このことを前提とすると「二つの分析の方向」がありうるとルーマンは言っています。02段落目に「まずわれわれを導く第一の観点は……」とあるように、分析の方向の一つ目についてはここから議論が始められる、ということはわかるのですが、「二つ目」がはっきりとしません。

  • 斉藤説:01から08段落までが「社会構造とゼマンティクから意味次元の分化の程度が帰結する」という議論ではないか(レジュメまちがってます、すみません)。09段落以降、「いったん自律化した各次元が、それぞれに自己言及を展開し、ますますはっきりと分化してゆく」という議論ではないか。
  • BB説:あるいは第15段落で「組み合わせ」の問題が提示されるがそれが二つ目の方向性なのではないか。

といった議論がされましたが、いずれにせよはっきりしません。はっきりしないまま進めましょう。

02段落で、

三つの次元がどの程度区別されうるか、またそれらが互いにどの程度分化するかということは、社会‐文化的な進化からの帰結であり、それゆえ社会的構造と共に変化する

と述べられた後、

意味を互いに分離してきた、おそらくもっとも重要な進化的獲得物は、書字の発明である

とあります。「意味次元を分離」ではなく「意味を分離」ですよ。前回挙げたように(http://d.hatena.ne.jp/hidex7777/20060423/p1)ハヴロックやオング(ここではオングは参照されていませんが)あるいはデリダ(『グラマトロジーについて』)の議論を前提としたテーゼです。書かれたもの(エクリチュール)の変異能力、コミュニケーション形成者の現前が必要なくなること、などから、社会的次元と事象次元の分化は生じ、このことから「哲学」が可能になった、とされます。

このようなコミュニケーションの自由度の増大、偶発性の増大が「社会‐文化的進化」として記述されています。そして、そこで生じた複雑性を分節化する枠組みとして諸次元の分離・分化が生み出されます。たとえば、事象次元に関係した術語であったものが、時間次元に移行されます(これを「前適応的進化」のようなものだ、と前回BBさんが示唆していました)。

ところで、第06節で議論されたように、三つの次元はそれぞれ「二重地平」を構成しています。内/外、わたし/あなた、過去/未来、といったようにです。これらはそれぞれ自己言及的な差異です。すなわち「内」は「外」ではない・という否定によって規定され、「外」は「内」ではない・という否定によって規定されます。したがってこれらは「次元特定的な自己言及」ということになります。さらに、これらの「地平」は、

……あらゆる時点というものは、それ自身の過去と未来を有しており……時間次元における一回性を所持しているということを意味しているだけではない。このことを経験したなら、また、あらゆる時点におけるあらゆる過去とあらゆる未来が、同様のことが真である時点へと分解されうる、ということも見るであろう。このことは、任意に拡張されうる時間的な果てしなさを開く。

と09段落で述べられているように、それぞれに「果てしない(無限である)」ものです。任意の時点を取り上げれば、その時点は過去と未来を持っているのですが、さらにその未来も、その未来にとっての過去と未来をもっています。以下同様に、無限に繰り返していくことができます。まったく同じ事態が事象次元でも(11段落)社会的次元でも(10段落)観察されます。したがって「いわゆる時間というもの」は「たんなる時系列的な便宜上の規約」であり、「合意点」は同様に規約としてのみ存在し、事象次元における事態は「基盤のない構築物」と考えざるをえません。

意味次元の分化の増大とは、この「二重地平」の独立性の増大のことを謂います。かくして複雑性の縮減の戦略は多様化することになります。

と、ここまでのんびりまとめを書いてきて気付きましたが、一点補遺とすべきことがありました。

音声ファイル中、ぼくはコルジブスキーの「時間拘束」について、『奇妙な論理』〔ISBN:4150502730〕をひき、「人間は『時間を縛るもの』で……人間は過去の経験の上に新しい経験を積むことによって時とともに進歩する」ということをいっているのかな、などとほざいていますが、これは間違い。正しくは、

世界的規模の戦争や経済恐慌を目の当たりにして、アインシュタインなどによる科学的な発見に刺激され、人間とは何かについて深く考えた結果、記号を使うことで時間を結ぶ能力(time-binding)と、記号を使いながら記号について意識できる能力(self-reflexiveness)こそ人間独自のものであることがわかった。この人間独自の能力を生かすことで、人類は非生存的な記号行動におちいらずに進化できるはずだと考えた。

とのこと。

ガードナー本はトンデモ・マーケットをねらって帯がつけられていますが、コルジブスキーはバロウズティモシー・リアリーベイトソンも引用した、立派なオルタナ系ですよ。

以下のSF読みたいところ。

非(ナル)Aの世界 (創元SF文庫)

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非(ナル)Aの傀儡 (創元SF文庫)

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【追記】こちらもBBさんからのお届け(笑)

成恵の世界 (1) (角川コミックス・エース)

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成恵の世界 VOL.1 初回限定版 [DVD]

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