毎日新聞社説:宮崎事件 類似犯防ぐ環境整えよう

いちいち新聞の社説に反応なんてしたことがないのだけど(ブクマのような脊髄反射はあるけど)なんだか機嫌が悪いので反応してみる。

via:http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20060119/1137625907
内容は単純で、被告人のMさんにかんする事件・判決にかこつけて自説の開陳にいそしむ毎日記者さんであったが、一貫して切断操作

【略】
ビデオの大半は子供向けのアニメだったこともあり、1、2審の審理でも犯行とビデオとの相関関係は解明されなかったが、専門家は、映像は性的欲望を刺激して性犯罪を誘発する、とポルノビデオの横行に警鐘を鳴らした。

両審理で「相関関係は解明されなかった」にもかかわらず、「専門家は、映像は性的欲望を刺激して性犯罪を誘発する、とポルノビデオの横行に警鐘を」ならすのだそうです。
その専門家はどこから沸いて出てきたのでしょうか。脳内でしょうか。
審理に関わった方々は専門家ではないといいたいのでしょうか。検察もなめられたものですね。
そもそも「大半は子供向けのアニメ」だったという事実と、ここでいきなり「ポルノビデオ」の話が出てくるのはどういった事情なのでしょうか。

宮崎被告の逮捕から17年、幼女を狙う事件は後を絶たない。最近も広島市と栃木県今市市で小学1年の女児が殺害されている。この間、児童買春や援助交際児童ポルノの製造、販売などを処罰する児童買春・児童ポルノ禁止法が施行され、刑法も改正されて女性に対する犯罪の厳罰化が進んだ。

被告人の逮捕から17年たつことと、幼女を狙う事件が発生することと、何の関係があるのでしょうか。

性犯罪者は再犯率が高いことから、刑務所での処遇に再犯防止プログラムが導入されたり、法務省が出所者の情報を警察に提供し、動向を把握する制度もスタートした。

再犯率は高くないことを知らないのでしょうか。

しかし、性情報が社会にあふれる状況は好転するどころか、悪化の一途をたどっている。

性情報が社会にあふれる「状況」に変化があるのは確かかもしれませんが(不確かかもしれませんが(ぼくは不確かだと思っていますが))、それを「好転」とか「悪化」とか、なんで断言しているのでしょうか。断言する権利がないとはいいませんが、「これこれこういう条件を設定すれば、しかじかの事態は<良い>とか<悪い>とか言うことができる」という前提がなければ、言うことはできないのではないでしょうか。なんでそこをすっとばすのでしょうか。

【略】
業界には自粛の動きもあるが、他方で幼児性愛をファッションとするかのような見方もはびこり、児童ポルノ類は公然化したような印象さえ受ける。

幼児性愛(ペドフィリアのことでしょうか)はファッションなのでしょうか。セクシュアリティの、なんらかの手続きにもとづいて同定された単位(いや、「なんらかの手続き」(主に医療・医学)にもとづいて「同定された単位」*1を「セクシュアリティ」とよぶのですが)に過ぎないのではないでしょうか。
それから「公然化」した「児童ポルノ」は摘発されるはずですが、なぜこの記者さんは公然化したと「知って」いるのでしょうか。この記者さんのアパートやハードディスクの中だけのことを言っているのでしょうか。だとしたらそれは「公然化」とは言わないのではないでしょうか。

【略】
野放し状態に近いアニメや漫画も含め、犯罪行為を正当化するような映像やゲーム類は、社会を挙げて一掃する方策を講じる必要がある。

どのような映像・アニメ・漫画・ゲーム類は、「犯罪行為を正当化する」といえるのでしょうか。レイプ行為を記録したDVDソフトは、犯罪行為を正当化しているのでしょうか。なぜ?「これは犯罪ではありません」というテロップでも出ているのでしょうか。それはどこにでしょうか。脳内にでしょうか。

続発する痴漢やわいせつ事件をみても、なぜか性モラルに寛容な風潮が改められないが、人として、幼児に限らず女性を身勝手な欲望の対象とする行為は断じて許されない。そのことを一人一人が自覚し、性犯罪を追放する機運を盛り上げねばならない。

痴漢やわいせつ事件が続発しているとして、なぜ「性モラルに寛容な風潮が改められ」なければならないのでしょう。そもそも「性モラルに寛容な風潮」などどこにもないと思いますが、それはさておき、強姦被害が統計上の暗数として非常に多かった時代のほうが好ましい、と考えているのでしょうか。どっちが「寛容な風潮」なのでしょうか。

「幼児に限らず女性を身勝手な欲望の対象とする行為は断じて許されない」という一文になるともう、意味不明です。欲望はいつから行為になったのでしょうか。(ある種の)欲望が許されない(ものとして観念される)のが近代社会の「自明の前提」として議論される昨今ですが(そしてそれとは別の種類の欲望〔たとえばアントレプレナー的メンタリティ〕が称揚されるようになっている、云々などと近代=社会を議論するのが流行する昨今ですが)、「欲望することを許すな」というこの方の欲望はなぜ免除されるのでしょうか。
「対象とする行為」が許されない、と言いたい?のかな?それは許されていない、のではないでしょうか。ようするに暴力をともなう行為(暴力をともなわない行為がありうるのか否かはともかく)はよからぬことだから取り締まろう、というのであれば、賛成ですが、それと「性モラル」とどのように関係しているのか、やはりわからない。

幼児性愛者が人間関係を結ぶのが苦手で、年相応の女性と交際ができないと言われることを踏まえ、

だれが言っているのでしょうか。

子供のころから遊びやスポーツ、趣味などを通じて円満な人付き合いを促す工夫も凝らさねばならない。

円満な人付き合いができる人物は犯罪を犯さないのでしょうか。
遊びやスポーツがなんらかの条件でできない子どもは、円満な人付き合いができなかったり、犯罪を犯す人物に成長したりするのでしょうか。
趣味をもつことができない人物はどのように人生をおくればよいのでしょうか。

今回の判決を機に、教育やしつけのあり方も見直したい。

毎日新聞 2006年1月18日 0時44分

(笑)。今回の判決にかかわらず、教育やしつけのあり方を見直せばいいじゃないですか。

【追記】 http://d.hatena.ne.jp/rna/20060119/p1さんとかぶった。再犯防止プログラムについて詳しいので、rnaさんの記事必読。

*1:つまり、「これはホモセクシュアリティ、これはアセクシュアリティ、これは性的サディズム……などと「数えることができる」ように単位化されてヒトの「内面」に措定されたモノ