“69 sixtynine”(2004)監督:李相日

世界で一番好きな小説をひとつ挙げよと問われれば、村上龍限りなく透明に近いブルー』(ISBN:4061315315)とこたえるだろうと思う。しかし人生で最も多く繰り返して読んだ本はなにかと問われれば、『69』(ISBN:4087496287)とぼくはこたえるだろう。
1969年についてのこの小説は、16回の雑誌連載を経て、1987年に出版された。ぼくはそのときに13歳で中学2年生であり、「バリ封」も「ゲリラ教程」も、ようするに人生に必要な単語はすべてこの本で学んだのだ(ちなみに『ゲリラ教程』はこの本ではチェ・ゲバラの著作とされているが、もちろんゲバラが書いたのは『ゲリラ戦争』(ISBN:4122040426)で、カルロス・マリゲーラの『都市ゲリラ教程』(http://www.fukkan.com/vote.php3?no=12238)と混同されているのだろうと思う。当たり前だが、主人公ケンが北高全共闘相手に主導権をにぎろうとして標準語で述べたセリフにおいて引き合いに出されているキーワードなので、これは著者の誤りではない)。
ちなみに主人公の一人称は「僕」であり、男の子が自分を「ぼく」と呼んでもかまわない、という「《一人称はぼく》アイデンティティ・ポリティクス」に資したのも、この本である。それまでぼくは、人前で(親兄弟以外の前で)自分を指す一人称代名詞を持っていなかったのだ。
この小説の映画化は出版以来何度も企画されたが、著者によって拒否され続け、2004年にやっと宮藤官九郎の脚本によって映画化された。

69 sixty nine [DVD]

69 sixty nine [DVD]

結論から言うとこの映画はヒットせず、1ヶ月かそこらでロードショーから単館興行(といっても一館ではないのだけど……こういうのなんて表現すればいいのだ?)に移行、04年末にはDVD化された。
映画としてはまったく失敗していない。よくできた、佳作だと思う。通例ならば3ヶ月かけて撮るであろう分量のカット数を1ヵ月半で撮らざるをえなかったことや(28時間撮影はざらだったとか)、原作では効いていたキーワード・リンクが113分の尺では詰め込みきれなくてリンク切れをおこしていたりとか、さまざまな興行上の失敗の要因はあるにせよ、とにかく観客とのあいだのキーワード・リンク切れが問題だったのだろうと思う。
1ヵ月半の製作期間しか練りだせなかった制作側も、脚本改訂を繰り返し、キャスティング(妻夫木&安藤は除く)にあたった作り手側も、その点(観客とのキーワード・リンク切れ)を予想していたのだろうと思う。

脚本に関しては、宮藤は次のように言っている:

普通、僕の脚本を撮る方は、恋愛の部分をふくらますんですけど、李さんはそこをカットしましたからね(笑)。いいなあ、と。僕より若いのに、すごく男らしいと思いました
【略】
そこで若い女性(の観客)をヌカヨロコビさせてもしょうがないなと(笑)。
【略】
(脚本を)直しても直しても、変わらない箇所が必ずある。(監督も)カットできないだろうし、この通りやるしかないだろうっていうくだりが。こうでなくちゃいけないだろうってところ。
【略】
そういう“死守”したいって思いは(監督に)ビンビンに伝わってるんでしょうね(笑)

ここで宮藤が「変わらない箇所」「カットできない」といっているのはバリ封前後の描写のことだが、重要なのは、宮藤が李とまた組みたいと同インタビュー内で述べていることと、若い女性客を喜ばせてもしょうがないから「恋愛のシーン」はカットされるべきだと述べていることだ。宮藤にとって、この映画は、それまで長編映画を1本しかとったことのない李との名刺交換のようなものだ。

キャスティングに関しては、李監督は次のように言っている:

バリ封をしたメンバーが10年を経たら、こんな有名人ばかりだった。例えるなら『アウトサイダー』みたいに。こんなメンツは2度と集まらないだろう……そうなってくれることを逆算してキャスティングしたんですよ

バリ封メンバーにキャスティングされているのは金井勇太柄本佑加瀬亮星野源・三浦哲郁らだが、たしかに宮藤作品や矢口史靖作品によって将来が約束された若手俳優たちだ。李にとってこの映画は、10年後を計算した「カルト映画」だともいえる(余談だが村上龍も自分自身を「自分はカルト作家だから……」というときがある)。

もちろんキャスティングでもっとも重要だったのは松井和子(レディ・ジェーン)役の太田莉菜だったとぼくは確信するが(太田莉菜にオファーしたのはプロデューサーの伊地智啓だそうだ。この映画に関わった人物で最も偉いのは伊地知だ。文字通りに、偉いのだ)。

「通常なら3ヶ月はかかるカット数」になったのは、当然、短いカットをつないでテンポをよくするという監督の意図が反映されているのだが(そして1カットにつき数テイク撮ったという)、そしてその意図は失敗してはいないのだが、成功もしていない。

オープニングのタイトルバックは素晴らしいが(日本映画史上最高といっても過言ではない)、監督は「タイトルバックは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(asin:B00007GR7W)のイメージで色づかいが楽しくてサイケなタッチに仕立てあげました」などと言っていて。いや『キャッチ・ミー…』が悪い映画だということではなくて。もっと言い方があるだろうと。。。(「アメリカン・ニューシネマ的なテイストをどこかで出したかった」などとも言っている。ううう。。。原作ちゃんと読んだのだろうか。。。「どこかで出す」とかいう問題ではないと思うのだが。。。)とにかくオープニングでCreamの"White Room"を使い(実質上の主題歌)、劇中バンドが"Sunshine of Your Love"を演奏するという、なんというか、もう、それだけで成功が約束されている映画に思えるのだが、いまさらCreamでキーワード・リンクが効くと考えるのも確かに間違っているとも言えるのだけど……(それにしても『キャッチ・ミー…』て)

脚本に関してもうひとつ付け加えると、脚本の第1稿は、エピソードが原作に忠実に並べてあったらしい。それをいったんバラバラにし、アダマとケンが初めから親友だったのではなく、バリ封やフェスティバルの計画を通して友情が深まっていく構成にしたとのことである(原作ではイワセがアダマとケンを引き合わせるエピソードが冒頭で挿入されるだけだった)。これは成功していると思う。

残念なのはサントラ。映画ではオリジナルが使われているのにサントラではカバー。『CDジャーナル』によると:

映画本編以上に69年を語るのがこのサントラ。ロック(1)(CDはカヴァーだが映画ではクリーム)、歌謡曲(4)(18)、アニメ(9)(20)がちゃんとタイプスリップさせてくれる。だが最高なのはスコア曲。ツェッペリンサイモン&ガーファンクルなどの寸止めパロディで爆笑必至!

だそうだが、そんなの、原曲使いたかったのに予算オーバーで権利とれなかっただけにきまってんじゃん(笑)。でもそんなところが「カルト感」を演出するのかも……しれないね。

69 sixty nine オリジナル・サウンドトラック (CCCD)

69 sixty nine オリジナル・サウンドトラック (CCCD)

ところで、以下に、原作の章立てを列挙した(原作は雑誌『MORE』に、16ヶ月にわたって連載された)。本当は原作のエピソード順と映画のエピソード配列について詳細に書こうと思ったが、またの機会にしておく。
ちなみに、アダマがバリ封後、謹慎が解けた後に「卒業式粉砕」を計画する、というエピソードは原作にはなく、博多で出会う「アルファロメオの女」は、原作では「銀色のジャガー」に乗っている、という異同がある。

クドカンと李監督のインタビューは↓

69 sixty nineオフィシャルガイドブック (TJ mook)

69 sixty nineオフィシャルガイドブック (TJ mook)



ついでに、ぼくの評価は、★3つ、半、かな。