柄谷『近代文学の終わり』

去年から今年の初めにかけて雑誌に載った論考・対談・座談会を一部、または全面改稿したもの。だからファン必携。

近代文学の終り―柄谷行人の現在

近代文学の終り―柄谷行人の現在

関井光男との対談は読んだかな。あと最後の『文學界』の去年のやつは立ち読みしたかな(フーコー的主体形成がダメになってドゥルーズ的直接コントロールへ、という例の議論*1がされてるやつ)。岡崎乾二郎が2ちゃんについて

たぶんほとんどの人が確信のない意見を試しに書いてるだけでしょう。そもそも書き込む本人の意見も代表していない。たぶん、それに対して、どういうリアクションがあるか観察しようと好奇心で書いている。

と発言しているのが面白かったので覚えている(「いってみるテスト」と書いてなくても全部言ってみるテストなんだ、ということだね。でもそれをいうなら掲示板だけじゃなくて、あらゆる発話・発言・言表・エクリチュール・コミュニケーションには「といってみるテスト」が伴っている、ということを見なければならないはずで、たとえばさっきのドゥルーズ本で松本潤一郎デリダについて「『私のテクストは全て序文だ』みたいな感じがありますね、デリダには。」と言って、酒井隆史が「で、序文を書きながら、序文は不可能であるということを延々と書きつづける。」と返しているように、「本論」=発話者の意見というものは常に脱構築可能である、のだけれど、「脱構築可能ですがなにか?」というわけで、コミュニケーションは接続する=「延々と書きつづける」というハナシになっていないと、腑に落ちない。)

でも改稿されてるから、買いましょう。
http://www.inscript.co.jp/からF・キットラー『メディアシステム 1800-1900』が出るみたい。

*1:宮台真司も北田対談本で取っていた立場。逆だった。