ウナセラ・デイ・トーキョー@世田谷美術館。

全体的にはイマイチな写真展だった。企画としてはアリなんだろうけれど。

ぼくはもうアラーキーは嫌い、とか公言するのはやめようと思った。彼の作品の中には、いくらけなそうと思っても、悔しいけどやっぱりいいよね、と言うしかないものも確実にあるし、この企画点でもトータルで観たときに技術的に優れているのは荒木だと思った。
単純だけれど、ぼくをいらだたせる種類の写真というのは「一点透視法そのもの」を視覚に与えてくるような写真で、ようするに「ビスタ景観」によって視線が一定の方向に誘導されるように要素が画面上に配置されている、そういったたぐいの写真なのだが、そのときに「一点透視法そのもの」が視覚に与えられている、と感じるということはつまり、それらの要素が視線の移動にとってなんの【ひっかかり】ももたらさない、ということだ。

今回の展示のなかでどの写真家の写真がそうだったか、ということは言わないでおく。ただ、荒木氏の写真はおおよそ、そういった単純な水準をクリアしており、それは視線の移動を拒む、意味的な多方向性をもった要素がひとつ、あるいは複数配置されていることだとか、視線を誘導しない(迷わせる)景観が表層を覆っていることだとか、その程度のことなのだが、ほとんどすべての写真が、今述べた最低水準をクリアしているということは、単純に、彼の技術が優れているからなのだ。

むろんこれは「イマイチな写真展」のなかでいくらかマシなものの多くは荒木氏の作品だったというだけの話しだから(良い写真は他にもたくさんあった。写真家ごとに平均点をとってみた時の印象を、いまは述べている)、荒木氏が「写真家のなかで」特に優れている、という結論にはならないのだが、その程度の「足切り最低点」を越えていないものはそもそも「良い写真」と感じることができない、ということが、今回の写真展でわかったことはぼくにとって収穫で、アラーキーが評価されたりされなかったりすることを今後真面目に考えてみたいと思わせてくれた写真展だった。