mixi入門本にかんして、および人文社会科学

たけのこ

id:hidex7777:20050302#p1にて『縁の手帖』に(怒)マークをつけたのだけど(とはいっても別にぼくは怒ってなくて、友だちがインタビューされてたから楽しく読んだただの一読者で、この本のどのへんにイーマーキュリーが怒っているのかは部外者にはよくわからなかった――というか(怒)マークは、SNS入門かと思ったらmixi入門かよ、という文脈でつけた)、id:yskszk:20050307#p1さんがトラックバックをくれた。

ひでくすさんはいくら何でも煽りすぎである。もっともアプリケーションの解説書ではなく、「文化としてのコンピュータ/インターネット」に踏み込んだIT関連の書籍で人文社会学関係の用語を散りばめたくなる気持ちは、理解できなくもない。

たぶんぼくが「人文社会学関係」の言葉遣い・用語に厳格で(その筋の人だから)、厳しすぎて怒っている、というふうに思われたのかもしれないんですが、じつはそういうわけでもない、のであった。むしろ「人文社会学関係」用語が誤用・濫用されているとニヤリとして「さらしアゲー」とか言ってみる性格悪いタイプなので。

ただ、「6次の隔たりミルグラム発言」という誤情報は、ちょっと「出回りすぎ」じゃないかという気がして、笑えなかった。というのも、「人文社会学系」の研究対象・語彙・フィールドにかかわる学生というのは、まずなんらかの専門的知識をもってフィールドに出て、それを分析する、という手順をとるのは稀で、むしろそのフィールドに落ちている語彙・情報を拾い集めてくる→それをまとめる→気の利いたつもりの考察で締める、というパターンで論文を書いたりすることが多い(気がする)。ので、たぶんこの冬に提出された卒論には、「6次の隔たりミルグラム発言」情報にのっとった「SNS研究」が莫大な数、存在するのではないかと推測する。

まあ、それは1次文献にあたらない学生が悪い、のではあるのだけれど、「『6次の隔たりミルグラム発言』というのは誤情報だよ」という情報も、ネット上にはその誤情報の10分の1ぐらいの量だけど確実にあるので、その程度のリサーチすらできないのは責められてよい(だからその学生は悪い)。が、やはり「責められてよい卒論レベルの学生」と、同じぐらいの・あるいはそれ以上のリサーチ力のある「出版に携わるライターや編集者」も、同等に責められてよいのではないか、と思う。

この点、理系・工学系だとそういう「へま」をやってしまうと、飯の食いっぱぐれになるので、チェックはおのずと厳しくなるんじゃないのかなあ、と思う。

すごーく図式的に言ってしまうと、理系・工学系では、トップダウンで市井に情報が流れるのに対して、人文・社会学系では逆に「市井の情報」をいったん「上」に集める・もしくはそのまま「市井」に流す、ということば・情報の回路がある。

で、たぶん、そのこと(図式)が「悪い」のではなくて、そういう従来の回路にのっとったまま、人文社会学系の学者の「説」が利用されるのが気分悪いなあと感じるのだと思う。いや、まあ、マーケティングとか組織論の分野ではそんなのは昔からたっくさんあったので、いまさら言うようなことでもないのだけれど、なんだか、言ってみたくなるこの気持ちはなんでしょ。

たぶん、昔から人文社会学系の学者たちはマーケティングや組織論でのそのような濫用や、概念の過剰な単純化を「嫌だなあ」と思っていて(だからマスコミに出て発言する学者を軽蔑したりして)、だけどいちいちそんなことを論文で指摘することもなくて、嫌だという場所もなくて、これまでやってきたけれど、blogとかSNSとか、ちょっと前だとインターネット、その前だとマルチメディア、あと伽藍とバザールとか、そのあたりから、嫌だなあと思う「人文社会学系」のひとが発言する場所が――インターネットの普及によって――確保されてきたのではないかな、という気がする。

それでぼくも自分のblogを持っているのだし、「いっちょ言ってみっか」という気になった、ということなのだろう。ああ、自分で書きながら「そういうことなのか」と納得してすっきりした。

ソーシャル・ネットワーキング・サービス 縁(えん)の手帖

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