ちょっとゆってみるテスト。

id:contractioさんが現在進行形で取り組んでいるフーコー再読を面白く読ませてもらってるんだが、フーコーはそもそも(特殊)社会システム論的な意味でのシステム概念というものは念頭においていなかったと思われ、むしろ彼が認識のベースにしていたのは構造主義的―ポスト構造主義的構造概念であったと思われるので、フーコー的「言説」概念(およびその構成要素たる言表概念)をシステム論的に解釈することはそもそもできるのだろうか?ということが疑問になったりする。

構造主義とシステム理論の間にはソシュールベイトソンをかませてみる。
フーコールーマンの間にはニーチェをかませてみる。
というのでどうよ?
↑は言ってみるテストだけど、テストとしても言えないことはミクシで書いてみるテスト。