社会学の教科書

このクラスでは、結局議論の末「若い女性たちは、自分たちの身体が性的に利用されることに慣れきってしまっているため、多少の事では気づかなくなっている」という凡庸なフェミ的意見でまとまったようだけれど、それを言うなら男性だって女性の身体を見る事に慣れきっているわけで、男女で評価が違った理由にはならない。ただ単に、男子生徒はよっぽどフェミ的な感性を持つ人しかこの教師の授業を受けにきていないだけじゃないのかと思う。だいたい、フェミの先生が「こんな写真があったけど、どう思う?」って聞いたら、わざわざジェンダー社会学のクラスを取っているような男子生徒なら「何かそこに差別的な要素を見つけ出して指摘しろ」って言われていると思うはず。

この写真は、確かに性的なの。男子学生が言うんだから間違いない(笑) でも、同時に能動的でイケてるイメージがある写真でもある。性的で能動的でイケていることは、若い女性にとってちっとも悪い事じゃないのね。だから、直感的にマイナスイメージがないのは当たり前だと思う。でも少し引き下がって、「そもそもこの写真のどこが社会学に関係あるんだ?」って考えてみるとヘンな写真だし、ここで男性じゃなくて(若い・白人の・タンクトップを着た)女性が使われていることは、既存のジェンダー秩序における女性の位置(や、人種秩序などの社会関係)と無関係ではない。いかに個々の女性がこの写真に共感しようとも、女性の「身体/性」が教科書にまでパッケージされて販売促進に利用されているのは事実だし、それにみんなが慣らされてしまっていて、なかなか気づかないという要素も確かにある。

Macskaさんとこ経由で。ぼくは「ヘンなの」が好きなので、こういうのは大好きです。表紙という表象の解釈に複合性があって、

  • 社会学の教科書の表紙として適切か否か
  • この表紙は性的か否か
  • 性的であることは良いか悪いか
  • この表紙はイケてるかイケてないか
  • 性的な表紙を販売促進に利用するのは良いか悪いか
  • イケてる表紙を販売促進に利用するのは良いか悪いか
  • 既存の秩序-社会的位置を販売促進に利用するのは良いか悪いか
  • 既存の秩序-社会的位置を美的に判断(イケてるかイケてないか)するのは良いか悪いか

……たくさん挙げようかと思ったのだけど、どうも、ぼく自身が「良いか悪いか」という<区別>にからめとられてしまっている・つまりある種の政治的/道徳的判断にからめとられてしまっているのに気がついたので、挙示はやめました。
つまりこの男子学生のように、女性学のクラスで「この表紙はどう思うか」と聞かれたら、そこになにか政治的な判断を読み込もうとする観点が召喚されてきてしまうはずで、そのような召喚を「Sociology」というタイトルが強いているのだろうなと思いますたよ。