本日のゲト
桜井一江、私のなかの区別と統一:ルーマンの「区別」概念とヘーゲルの「無限性」概念に基づいて、『上智哲学誌』 (上智大学大学院哲学研究科上智大学古典哲学研究会)、第7号、1994.3、p83〜108
中身はこんな感じ(節ごとのタイトルがないので1文目だけ引用):
- はじめに
- 人間は「社会」のなかに産みおとされ、その中で育まれ、その成員となる。
- 1
- 個人の自由を前提として各々の価値追求の行為をいわば「予定調和的に」結びつけるものとしての「社会」と、諸個人のうえに君臨する有機的な全体としての「社会」。
- 2
- <私>という個体は「人間」である。
- 3
- では、知の主体としての「人間」像はどうだろうか。
- 4
- 「意識の経験の学」とも呼ばれる『精神現象学』は、直接的な意識から出発し、絶対知といわれる境位に達するまでの、意識の経験過程を記述している。
- 5
- 潜在的で未分化な真理として登場した内的本質は、まず力の運動として描かれる。
- 6
- 意識の自己関係性は無限の構造であり、その構造のなかで<私>が誕生する。
- 7
- <私>は決して透明な統一体ではなく、むしろもろもろの意味の糸で織られた折り目をもつ構成体である。
また「結語」がないよ……
最後の一文が:
<私>の内属する「世界」のこうした多面的分析が具体的・実践的生としての<私>を生き生きとさせるための必須の作業であることを、最後に明記しておきたい。
イキイキイイ!