占いはなぜはずれるか?

今日引越しの準備しながらふと思ったこと。
「占いはなぜ当たるのか?」という「科学的」考察のたぐいはいくつかあるのだけれど、「なぜはずれるか?」と問うたものは見たことがない。占いのような「非科学的」なものを人が信じたり、時には当たったりすることがあるように思える、ということの方が、「科学的に」不思議で、問う必然性があるということなのだろうか。
しかし、ぼくの実感としては、占いはたしかに非科学的であるし、信じる方か信じない方かと聞かれれば信じない方だと答えるほかないのだけれど、それでもしかし、占いがはずれると「不思議」な感じがする。「占いに書いてあったことと違うじゃないか!」と怒ったりもする。
ということは、ぼくの感覚としては、占いが当たるものなのか当たらないものなのかということとはまったく無関係に(それは「科学的なのか非科学的なのか」という区別とは必ずしも重ならない)、「占いがはずれると不思議な感じがする」ということが言えると思うのだ。
で、こっちの方がむしろ問う価値があるような、直観が訪れたのだ。今日。
「占い」もひとつの研究テーマとして(博論とは別に、ということですが)あったのだけど、今日、その問いの転換が起きた、ということです。