参考

絵本ナビ http://www.ehonnavi.net/home01.asp
児童文学書評 http://www.hico.jp/

つか、柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』が出るまで待つってのはダメ?(w
ダメだわな。カラヤンは「アリエス以後」を勉強して『定本』を出してくるんじゃないかという気がするのだけれど。「気がする」だけですが。

〔小川〕未明に始まる近代童話が〔浜田〕広介によって発展を見たのは大正末期であったが、この時、未明とはかかわりなく宮沢賢治が多量の童話を創作していた。一方では「赤い鳥」の発刊に見られるように、大正の中期から末期に、児童文学の近代は確立されようとしていたのである。

とりあえず手元にある『ユリイカ』1997年9月号(特集:児童文学−−イノセンスの怪物)からの古田足日の孫引きですが。まあ、児童文学=絵本ではないのですが、いまのところこういうネタしかない。



まあ、いずれにせよ、明日(今日か)は友人の結婚パーティ、月曜はHゼミで発表があって、その準備で忙しいので、それから書くことになります。

追記:まいったな、古田さんやっぱりこんなこと言ってるよ。まあ、当たり前なんだけど。

それをもうひとつ拡大しまして考えてみますと、子どもの日常生活とでもいいましょうか、そうしたものを材料としている絵本は、やはり少ないと思います。それから日本子どもの本研究会の言い方の中で「児童文学の中の絵本という分野」という言い方がありましたけれども、この言い方はまちがいだと思います。児童文学と絵本とははっきり違うジャンルです。しかし、物語絵本などの場合にはくっつきがあるといいましょうか、親戚関係みたいなところがあることは事実です。この隣接分野の現在の児童文学のありようを見ていっても、そこではやはり現在の子どもを書いたものは数が限られている。少ないわけです。その現象とも関係がありはしないかというふうな気がする。