ニクラス・ルーマン「全体社会の分析形式としての現代システム理論」

例によってざっくりレジュメ化します。
というか、この論文(講演)自体がレジュメみたいなものなので、なんといいますか。
全7節構成(節のタイトルは担当者が適当につけたもの)。
数字はその節の中で何段落目かを指示します。

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■一 【システム理論】と【社会理論】の競合

  • 2:アリストテレスにはじまるスコラ伝統では、社会はコイノニア・ポリティケもしくはソキエタス・キヴィリスと定義された。コイノニアを社会システムと翻訳することができる。したがって社会は政治システムとして(つまりひとつの特殊システムとして)把握された。
  • しかし同時にまた、社会は包括的な社会システムとしても知られていた。
  • すでにそこには【システム理論の要請】と【社会理論の要請】の競合が見られる。
    • ⇒社会科学は政治社会の理論の理論として登場した。
  • 3:〈コイノニア〉の意味は友情と法の概念の方向で展開されている。コイノニアは諸部分からなる一全体であり、この全体は諸部分にたいして上位におかれる。全体は目的であり、部分は手段である。
    • ⇒全体-部分、上位-下位、目的-手段の対概念による説明。
  • 4:もちろんこの解決策と手を結ぶわけにはいかない。社会システム理論は、社会を異なる社会システムのうちの一社会システムとして把握する可能性だけを許容するからである。
    • ⇒では、どのようにして異なる社会システムにたいする社会の優位を根拠づけることができるのか。
  • 5:基本線は次の通り。
    • 【社会理論】社会的なものを意味的体験の必然的次元として理解する方向。
    • 【システム理論】機能主義の方向。

■二 【システム理論】と【社会理論】の発展系列

▼【社会理論】

  • 2:古いヨーロッパの社会哲学の人間性に関する仮説:<有害なもの/有益なもの>の区別⇒解決すべき問題は、他者による妨害可能性と他者への依存であり、目標は平和と正義であった。
  • 3:自己意識が主観性へ転換された近世形而上学においてはじめて社会的次元の根底的な問題化が生じる。
  • 意味的体験の主観的諸条件の反省⇒他者=他我=共同構成主観
  • 意味と世界の構成=間主観的構成=世界の社会的コンティンジェンシー⇒所与のものを他の諸可能性の観点で考察すること。
  • 4:社会の準拠問題は今日ではもはや〈よい生活〉の、目的実現と欲求従属の政治的コンティンジェンシーではありえない。むしろただ世界の社会的コンティンジェンシーとしてのみありうる。

▼【システム理論】

  • 5:存在論的システム概念から機能的・環境世界関連的システム概念の方向への変遷。
  • 次の4つの段階に区別できる。
    • ≪1≫全体と部分。環境世界と関連が無い、内部的秩序。
    • ≪2≫均衡理論。環境世界は攪乱の源泉として考慮されている。
    • ≪3≫環境世界開放システム理論。システムは環境世界との交換過程を維持する。システムは、境界維持的で存続維持的諸過程の結合。
    • ≪4≫サイバネティクス的システム理論。システムと環境世界の関係を複雑性の差異として把握する。環境世界は法外に複雑である。
  • [一般命題]システムが複雑性の縮減に、しかも内部-外部の差異の安定化によって仕える
    • ⇒世界の社会的コンティンジェンシーという問題に近づくことができる
      • ⇒コンティンジェンシーを複雑性に定義変更しなければならない

■三 【意味】とは

  • 1:社会システムは意味的に同定されたシステムである。意味連関において関連のあるrelevantものの境界が社会システムの境界なのである。
  • 2:主観によって意味を規定せずに、逆に意味によって主観を規定すること??つまり主観を、意味を用いるシステムとして規定すること??のほうが当を得ている。
  • 3:【意味】というのは複雑性の大きい条件のもとでの選択的行動の一定の戦略である。意味的同定によって、個々には見通しのきかない豊富な別々の体験可能性の指示をまとめたり、つきあわせたりすることができるし、また豊富な可能的な事態のうちに統一をつくりだすことや、そこからさらにこの指示連関の個々の局面に基づいて選択的に自己を方向づけることができるようになる。
  • 【世界】は選択作用によってその都度選ばれる注意領域に切り詰められるのではなく、むしろ世界は他の諸可能性への指示の地平として、従って関連のある他の選択のための領域として保存されるのである。
  • 4:意味境界がもっぱら問題になりうるのであり、事物や生命体の場合のように、物理的境界は問題になりえない。また意味境界とは選択を助けることにほかならない。

■四 パーソンズの再解釈

  • 1-4:パーソンズの立場を特徴づけてみよう。パーソンズは、
    • ≪1≫たしかに行動主義的立場を克服し、ウェーバーに従って行為を思念された意味によって規定している。しかし、意味は行為のもつ属性であるかのようにみなされ、他の諸可能性の世界からの選択とはみなされていない。
    • ≪2≫たしかに秩序の問題を主観的に思念された意味のコンティンジェンシーから提出してはいる。従って秩序は支配ではなく、規範的構造である。しかし、意味概念は機能化されていないので、「規範」「共通に承認された価値」のような無内容な言明が得られるにすぎない。
    • ≪3≫たしかに機能分析の方法を与えられたシステム構造の内部で用いることはできる。しかし、システム一般の機能や構造一般の機能について問うことができない。
  • 5:⇒社会の機能について問うことを妨げさせ、従ってある特殊な機能の割り当てによって【社会】を【異なる諸社会システム〔様々なサブシステム、のことかな?〕】から区別することを妨げさせることになる。
    • ⇒つぎのように解釈を改めよう
      • 社会は、そのつど最大の、それ自体機能的に分化した社会システムであり、それと並んで存在するのはもっぱら同一類型の社会システムだけである。あるいは社会は、機能的諸分化がそこに存在するシステム形成の次元である。
  • 7:システム理論と社会理論との結合の鍵は、両概念〔システムと社会〕を等しく徹底化〔=機能化〕することにある。
    • ⇒行為システムを、内部-外部の差異の安定化によって複雑性を縮減するところの諸行為間の意味関係として機能的に規定する。

■五 社会と部分システム

  • 2:社会とは最終的・根本的縮減を制度化するような社会システムである。社会はそれ故社会的次元のあらゆる構造を基礎づける。
    • ⇒人間がいかに高度の複雑性を意味的体験や意味的行為に置き換えることができるか。
  • 3:以前人々が最終的世界解釈を委ねた例の意味を形成する諸過程〔第1段落の「さまざまの意味創造物」。神話や(合理化される以前の)宗教などでしょうか〕は、今日、全体社会の次元では制度化されなくなっている。
  • 意味を形成する諸過程は部分システムに委ねられ、機能的に特殊化されている。
    • 4:【真理】:科学の課題である。
    • 5:【法】:私たちは法を実定法として捉え、その実定法の妥当性を政治システムの意思決定に任せている。キセキ!\(◎o◎)/!
    • 6:【愛】:私たちは(古代ヨーロッパの伝統とは違い)愛を個人的情熱として理解し、愛を家族の領域に関係づけている。
  • 7:社会的行為に構造を与える、最も重要で古典的な縮減の働きは、社会の部分システムの働きとして制度化されている。これらの諸々の働きを制御する意味境界は、もはや一致しない。
    • ⇒社会のいっさいの統合がなくなっている印象
      • ⇒では、社会はもはやシステムではない、のか?
  • あらゆるシステム形成を統一するものとは、せいぜいのところ言語だけ。
  • しかし、これでは安易すぎる。これでは、
    • 【社会の境界保障の問題】と【進化の問題】
  • を適切に取り扱うことができない。

■六 社会の境界保障の問題

  • 1:あるシステムの内部分化は確実な外部境界を前提しなければならないが、そのさいシステムの内部分化のほうは機能的分化として、外部境界の安定化に役立っている。
  • 2:システムが複雑になればなるほど、システムの境界はますます抽象的に定義づけされなければならない(具体的に象徴すること〔団体、領土、共同態…〕は不可能)。
  • 3:無規定なそして規定不可能な、従って操作不可能な複雑性についてその境界をはっきりさせることが第一に問題になる。
  • 4:世界を縮減可能な複雑性として図式化するさまざまの世界解釈がたち現れる。⇒
    • あらゆる人間を主観として承認することが必要。この主観の体験が意味を構成する。
    • 事象的観点では現実性は因果性として図式化される。
    • 時間は未来にむかって開いたものとして(円環的なものとしてではなく)措定される。
  • 5:不安克服の諸形式を変え、社会の道徳的性質をも変える(善行の道徳的確信は不安の鎮静化には役立たない)。

■七 進化の問題

  • 1:(近代的家族の発達のような)個々の部分システムを取り扱う特殊な進化理論では、進化の可能性の諸条件を適切に把握できない。
  • 2:システム理論は社会変動を把握する状態にはないという先入見はアリガチ。だが、
      • システム理論の本来の困難は、社会変動の問題にはないし、また社会的葛藤の問題にもない。それは社会の問題にある。
  • 3:19世紀の進化論(古いヨーロッパの思考スタイル)も、アメリ社会学の新しい進化論も、この課題に応えられない。
  • 5:【存立の問題】と【進歩の基準】の概念が区別されなければならない。
  • 存立の強大さは、進歩のしるしではない。進歩は、システムの一種の内在的目的telosでもない。
  • 6:進歩の基準は、社会の複雑性である。
    • 人間の発達過程のなかで社会的複雑性、即ち可能的体験や行為の数や種類が増大するのである。
  • 複雑性のこの増大は個別システムのうちにではなく、一般に社会のうちに見出される。
  • 7-11:[命題(ふう)]
      • 複雑な社会は、広い範囲において体験処理の具体的諸前提をより抽象的な諸前提によって補充しなければならない。
      • 複雑な社会は個人とその役割とを明確に分離しなければならず、またその社会の構造や行為期待の信頼性を個人によるよりも役割によって保証しなければならない。個人はその場合人格として制度化されうるのである。
      • 複雑な社会は部分システムの中に大きい任意性を制度化しなければならない。
      • 複雑な社会は、機能的分化を当てにしている。

  • 12-16:社会システム理論が社会を社会システムとして扱う仕方を明示する、という課題には、従来3つの解決策があった。
    • 【1】ひとつの社会システム、即ち政治的システムを全体とみなす、古いヨーロッパの実践哲学。
    • 【2】生命体やサイバネティクス機械のアナロジー。これは意味構成的システムには使えない。
    • 【3】パーソンズの行為システムの一般理論。社会概念が包括的〔自己充足Autarkie的〕なものであるため、ダメ。
  • 【解決】⇒社会とは、自らの境界によって無規定な操作不能な複雑性を境界づけ、それによって当該社会において把握され実現されうる諸可能性を予め構造化する、社会システムである。

報告者のコメント

内在的論点に触れる前に、ワケワカランかった場所のポインタを以下。
【追記】あとからアンカー入れなおしたりしてるので、すでにリンクしてくださってる方は、申し訳ないですが、いろいろてきとうにあれこれしてください。

?五?2:社会はそれ故社会的次元のあらゆる構造を基礎づける。
↑「社会」が「構造」を「基礎づける」という意味がわかりません。「構造」ってなに?

?六?4:現実性は因果性として図式化される。・・・・・・しかもそれは図式の二重構造において。合法則性と価値とが選択の補助として用いられるわけである。
↑「図式の二重構造」というのがわかりません。「二重」といいうのは、「合法則性」と「価値」が二重になっている、ということでしょうか?

?六?5:それはとりわけ制度と自由とが倫理的に重なり合って関係していた様式を変える。
↑なんのことだかわかりません。

……てな感じです。