カスチュラル・タイフーン

酒井隆史×矢部史郎「最悪は最高だ」『情況』2004.3別冊
矢部はいつもの調子で挑発的に言う「カルチュラル・スタディーズのシンポなのに、「落書きは犯罪じゃないでしょうか」みたいな会場質問が頻発しちゃって、あれはほんと驚いた。こいつら研究さぼってテレビばっかり見てんじゃないのかと思った」。僕的にはその人たちは「研究ばっかりやっていてテレビ見るのサボッている」んじゃないかと思うけれども。

この話は『現代思想』1月号で上野俊哉も書いてましたね。文脈は長原豊批判だけど(笑

「引く」という概念について、これは「観測者」、まさにエージェント、「監視者」の目の内面化の問題とつながっている。長原豊は……「カルチュラル・タイフーン2003」……で話題となった「反戦落書き裁判」をめぐり、一部の学部学生や若者から出された、一定の政治的身ぶりやメッセージが日常生活や身の回りで「引かれてしまう」という現実についての質問をほとんど一蹴して切り捨てている(「ユリイカ」、2003年10月号、特集「煙草異論」)。……

引用めんどいからここで終わり(w
つか、『現代思想』2004年1月号と、『ユリイカ』2003年10月号はぼくのここ一年のバイブルだな。でもないか。