萱野三平(2003)「フーコーの方法 権力・知・言説」『現代思想』vol.31, no.16

1 権力の概念

2 権力と知

3 言説の編成

  1. 知と権力がそれを通じて結びつく言説とはどのようなものか
  2. 知と権力の協働によって作動する編成システムはどのような特徴をもっているか
  • 言説の「編成(formation)」
  • (編成システム→実践領野を編成する)

たしかに、言説は記号によって出来上がっている。しかし、言説がなすことは、物を指示するための記号の使用を超えている。この「超えて」こそ、言説を言語体系やパロールに還元不可能なものにしている。この「超えて」をこそ、明らかにし、記述しなければならない。
SA、77頁

  • 「一般的な規則とその具体的な運用」といった着想にもとづく多くの【言語分析】・との区別
  • フーコーは、言説をそれ以外のものにかかわらせることをやめる。
    • 「言説以外のもの」とは、主体は意識、あるいは客観性といった、言葉の使用や意味をささえると通常は考えられているもののこと

言説をはるか遠い起源の現前と関係づけてはならない。言説をその審級の働きのうちで扱わねばならぬ。
SA、42頁

  • 言説の審級とはなにか?
    • 《言説空間一般における出来事の集まり》
  • 提起される問題の区別

【言語の分析】は、無数の言語運用を許す、規則の有限な総体=集合である。
【言説=出来事の領野】は、反対に、常に有限で、現実的にただ定式化された言語的継起によってのみ制限されている総体である。この秩序立った継起は、十分無数なものでありうるし、その総量によって、記録、記憶、読むことの全能力を、十分に超えうる。にもかかわらず、それらは、有限の総体を構成する。
なにがしかの言説=事実について、【言語の分析】が提出する問題は、いつでも次のようになる。すなわち、いかなる規則によって、かような言表は構築されたのか、したがって、いかなる規則によって、他の同様な言表は構築されうるだろうか?
【言説=出来事の記述】は、まったく別の問題を提出する。いかにして、かような言表が表われ、他のいかなるものもその場所を占めないのか?
SA、44-45頁

4 言表の機能