法の社会学的観察(1986)

法の社会学的観察
ニクラス・ルーマン 土方 透

ミネルヴァ書房
2000-09
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SSが1984年で、その2年後の論文。

1 社会学法律学

  • 新しい社会概念の発生・展開(旧い市民社会でも、19世紀的な経済に関係づけられた社会でもない)
    • 社会学の対象の統一にたいする理論的問いかけ
  • 法律学は「概念法学」に背を向ける過程で社会学に関心を見出したこともあったが、これは受け入れられなかった。
  • 法社会学の成立によってもこの距離は回避されない。
    • これは社会学それ自体が法に対して有している独自の難しさによっている。
      • この難しさは法とのかかわりにおいてのみ生ずるわけではなく、一般的な源泉をもつ。
  • このままでは、近現代の社会がどれほど高度なゼマンティクの実現に負うているかということを理解できない。
  • 「法の社会学的観察」というテーマは、この固有の距離を考察し、それに理論的形式を与える機会を提供する。
    • 法とは、社会のコミュニケーションが、たんに行なわれるということだけでなく、より広がり、それ自身についてもコミュニケートする数ある領域の1つにすぎない。
      • そこには、後生的な、いわば文化所産なるものが生ずる。それはブロックとして働く。

2 自己言及的システムの理論

  • あらゆるシステムの作動は、つねにシステム自身に関係し、それゆえ自己に言及することなく外部への言及を生み出すことはできない。
  • システムを構成する諸要素は、システムを構成する諸要素を通じて、自己自身を再生産する。
    • 論理学的には、かかるシステムはたんなる二値論理学では理解されない
    • システムの「自己」というものも、ただ環境世界との差異においてのみ言及可能となる
  • ポスト存在論的なシステム理論
    • 近現代の社会の有する構造的リスク
    • 進化上の非蓋然性
      • いくつもの機能を持たないこと、つまりいくつもの機能領域を備えていないことが、機能システムの自律性の特徴である。この場合、冗長性による確実性を放棄しなければならなくなるが、かかる事態は、もろもろの機能システムに固有の高度の動態性と感知力によって――たとえば、経済では「市場」、あるいは政治では「デモクラシー」というメタファーで表現されるものによって――埋め合わせられなければならない。
  • 以下重要な視点
  1. 【自律性・閉鎖性・開放性】自己言及的システムは、その再生産において自己自身にのみ依拠する。また同時に、絶えざる刺激や攪乱のもとで、環境世界を通してその再生産が起こる。「ノイズを通じた秩序形成の原理」。環境世界を欠いては機能が停止する。自己言及的システムの「共鳴」は内部的構造およびその一時的な状態に依存している。
  2. 【システムによる〈システム/環境〉差異への定位】意味をシステムのオートポイエーシスの作動のモードとして用いる自己言及的システムは、システム自身を観察し、記述する。システムは、それ自身の統一性を「同一性」として、システムのなかに再び導入する。(環境ではなく)システムのみが、この〈システム/環境〉差異を取り扱いうる。
  3. 【同一性=トートロジー】自己言及的システムは、それ自身の同一性をトートロジーとして観察する。システムが自己規定にとって用いうるのは、環境世界との差異の処理だけである。システムは、それそのものである。
  4. 【パラドクス】自己言及的システムは、それが自己言及と否定の使用とを作動上結合するとき、内部のパラドクスを生じさせる。自己言及的システムは「もつれた階層(tangled hierarchies)」である。バイナリコード化されたあらゆるシステムにおいて、こうしたパラドクスは、コードがそのコード自身の投入のレベルで用いなければならない場合に、中心的意義を有する。
    1. see→ベンヤミン「暴力批判論」:このことが、法システムのなかで、あらゆる法的決定にあてはまるということをベンヤミンは、残存する非規定性という問題において示している。それを法制定と法適用との差異によって(したがって階層化によって)完全に除去することはできない。
  • 他の機能システムとの比較可能性が獲得される。
  • トートロジーとパラドクス性という基本的な問題を手がかりにして。
  • システム自身はトートロジーもパラドクス性も許容しない。
  • システムに関する討議が導かれる。
    • それは、トートロジーとパラドクス性への隠された関わりを有しており、しかしまた同時に、この関わりを秘匿し、意味付与によって作動が続くのを保証する。
    • 理念史の中に、非常に多くのゼマンティク的解決が見られる。純然とメタファーを用いて行なわれている。暴力Gewaltというメタファー。
  • 社会学は、外部観察者の視点を採ることができ、またそこに結びついた距離を利用できる。
  • ただし、自己言及(自己記述)と外部言及(外部記述)との区別が為されなくてはならない。
    • 自己観察は、自己と観察されたものとを同一とみなす――そうでなければ自己観察とはいえないであろう。
    • 自己観察は、排他的であり、自己観察に対する唯一の可能な視点を占めている。
  • しかしながら自己観察は差異図式を用いる。その図式の中で、観察は観察されたものを局限している。
    • したがって観察は、この固有の図式にとって排除された第三者であり、自己観察ということでいえば、内包され、かつまた排除された第三者であり、したがって自己自身に接近することが不可能(自身の確かさを失ってしまうから)なパラドクスである。
  • 外部観察はもろもろのトートロジーとパラドクスとを、その対象のなかで確認できる。
  • 法理論は、法システムの自己記述を行なう。
  • 社会学は、システムの自己記述の外部記述を内包することで、つまり法理論及び法律的ドグマーティクの社会学を内包することで、外部記述の可能性を入手する。
    • 社会学はより良き知(行為理論)へのあらゆる要求を放棄しなければならない。

3 規範

  • 法システムは、その決定の「規範性質」をトートロジカルに規定せざるをえない。
    • たとえば規範を「当為」という言葉で置きかえるが、トートロジーを言葉で覆い隠しているにすぎない。
  • 法的になすべしとされたことは、システムの統一性と閉鎖性とを象徴している。
  • 法理論(内部観察)において、こうした事態は、規範を事実から導き出すことが論理的に不可能であるということを示している。
  • しかし法社会学(外部観察)にとって規範は事実である。
    • いかにして法社会学が規範を事実として扱うかという問い。
  • こんにちまで支配的であった見解:規範の事実性は、経験的に確認することができる意図であり、観念であり、あるいは合意であり、したがって主観的現象。
    • しかしこれらは規範概念を解明することはない。規範概念をそれ以上分解することのできない体験の形式として前提としている。
    • 規範とは、それが規範であるところのものである、というトートロジーは、経験的な意識の中へ移される。
  • しかしながら、規範概念そのものにかかわるものは何か、という問いに対して、自己言及と外部言及とを差異化することで得られた可能性は依然として用いられていない。
  • 規範を抗事実的な行動予期として理解すれば、こうした議論を超え、規範は事実として扱われる。
    • 認知的予期:学習する。
    • 規範的予期:学習しない。
  • 期待はずれに対して、予期の堅持や学習の拒否のリスクが問題である場合、付加的に防護される必要がある。
    • 規範は、多かれ少なかれ、現実に対して保持されなければならず、また必要になるであろうという理由(二次的な指標)で定式化される場合すらある。
  • 事実の諸条件と諸機能との網のなかへ組み込まれたこの規範概念によって、社会学は、法システムのなかで利用可能なものよりもはるかに多くのことをもちいてアプローチすることができるし、また定式化することができる。

4 法妥当性の実定性

  • 法の実定性概念の意味はいまだ不明確。
  • 中世の法構成において、実定性は法源の表示であり、したがって妥当根拠の表示であった。
  • 法の階層性が、妥当という命題と正しさ命題との結合を可能にしてきた。
  • 17世紀および18世紀の法の階層性は解体され、法妥当の実定性が残った。
  • こんにち実定法は、なおも妥当している。
  • この解決は、妥当という命題と正しさという命題との統一を切り離した。妥当する法は、もはや手放しに正しき法というわけにはいかない。「正統化」を必要とする。
  • 正統化の概念はこんにちではもはや法的概念ではない。それは政治的概念となるのであり、政治の正統化の問題に行きつき、そこにおいてデモクラシー論的な最終解答や、価値論的な最終解答を見出す。
  • 法の実定化を、法システムが分化したことと相関する概念として、またその法システムのオートポイエティックな自律性と相関する概念として解釈するなら、別の理論的帰結が見出される。
  • 法の妥当は「実定的」である以外ありようがない。法を通して法自身が定められる。
  • したがって法は、それが妥当すると決定されたがゆえに、独力で妥当する。
  • かといって恣意的な、原理を欠いた「決定主義」をみるのは間違い。
    • 決定を通じて作り出されたものは、またもや決定を通じて変更されうる。
    • あらゆる法は変更可能であるが、すべてを一度で変更することはできない。どの法変更も、法に基づかなくてはならない。
  • 実践的な問題は、法政策的刷新にまつわる困難さにある。
  • 法の実定性の問題は、法システムには答えることのできないものである。
  • しかしシステムを外部から社会学的に見るならば、なぜそのようであるかということを概念的に考察することができよう。
  • 社会学的考察によれば、法のオートポイエーシスは自己言及として、また言及し言及されるシステムの統一はトートロジーとして、記述されうるのである。
  • 実定性は、「上位から」秩序づけられるというより、むしろ一歩一歩「つぎつぎと起こる」手続きとして、作動させられる。

5 結果指向の法解釈上の諸問題

  • 正しき決定の問題
  • 法解釈ないし法的決定に結びついた諸結果を指向することは、今世紀の法ドグマティクにおいてもっとも重要な構造上の変更に属する。
  • 利益法学に移行して以来、法の持つ価値は、それに該当する利益として理解されるに過ぎない。
  • どのようにしたら、未来を知るということにたいし、法律家はこれほど信頼をおいていられるのだろうか。その解答は、「そうしなければならない」というものだ。
  • 結果を指向することは、極端に定式化すれば、不可能であり、かつまた必然的である。-決定の法的適合性は、法的に強力にできあがっている。
  • (1)時間の非対称化が働く。
    • この非対称化によって階層的構築物は取り除かれる。人は、まさに未来を知ることができないので、結果を経てかろうじて確認を入手する。
    • 未来にかかわる不確かさは、まさに確かさと同等に働くものとして用いられる。
  • (2)結果指向というものは、依然として立法と司法の公務に限定されたままである。
    • (もし公務によらない法使用も結果指向だったとしたら)「もつれた階層の」特有なケースということになろう。
    • 不法は合法となりうるし、合法/不法コードがそれ自身にそのコードが適用されうるということであろう。
  • このことを排除するため、結果指向は、公務上の特権として実践されなければならない。
  • 社会学的には、公務上の法使用と公務によらない法使用との違いを明確化することが期待される。

6 法律的論証の特性

7 正義

8 法社会学の効用