M&V『知恵の樹』(1984)
- 歴史的ドリフト
- 71
- ナチュラル・ドリフト
- 89, 105-, 125-, 126, 127, 128, 133, 135, 136, 163, 168, 169, 234, 235, 256,
- 系統発生的ドリフト
- 129, 198,
- 個体発生的ドリフト
- 213, 282,
- 共=ドリフト
- 212,
- 共=個体発生的ドリフト
- 221,
- 〈錯乱〉の中でドリフト
- 281,
- 構造的ドリフト
- 133, 135, 142, 194, 197, 211, 251, 282,
ここでぼくらが提唱するのは、〈進化とは進行する系統発生的選択のもとでの構造的ドリフト現象として起こる〉という見方だ。進化という現象においては、環境の利用に関しては進歩も最適化もなく、ただ適応ならびにオートポイエーシスの維持のみが、おこなわれる。それは有機体と環境世界とが、連続的に構造的カップリングされたままであり続けるプロセスのことだ。(133)
社会的・言語的カップリングのネットワークにおける、言語活動による現象としての精神は、私の脳の中にある何か、ではない。意識と精神は社会的カップリングの領域に属している。社会的カップリングこそ、意識と精神のダイナミクスの所在地なのだ。人間の社会的ダイナミクスの一部として、精神と意識は、ぼくらの個体発生的構造的ドリフトがたどるコースの、セレクターとして作用する。そのうえ、ぼくらが言語において存在している以上、ぼくらが生み出す〈言語の領域〉はぼくらの〈存在の領域〉となって、そこにおいてぼくらがアイデンティティと適応を維持するような環境の、一部となる。(284)
言語とは、誰かによって、外部世界をとりこむだけのために[世界を表象するために]発明されたものではない。したがってそれは外部世界をあきらかにするための道具として使われることはできない。そうではなくて〈言語する〉ことによって、言語という行動の調整の中で、認識[知ること]という行為が、〈世界〉を生じさせるのだ。(285)
- 高度計のハナシ
- 204