ヒトのクローン作製についてあなたの考えを800字以内で述べなさい。

 現時点で、日本ではヒトクローンの作製は法によって禁止されている。法でなんらかの「行為」を禁止することは、法もまた文化や時代状況の反映である以上、いわば道徳的あるいは倫理的要請であるといえる。むろん、文化も時代状況も相対的なものであるのだから、道徳・倫理は文化圏や時代によってブレがある。ましてや現代のような多文化的状況下では、道徳・倫理を「国民総意」と考えることはできない。つまり相当量のブレを処理しなければならないという、過負荷の元に法(あるいは法形成の政治)はある。そのようなブレに対応するため、いわばマジョリティの意見にマイノリティの声が押しつぶされないため、憲法(基本権)は法形成を規制してきた。人間どもが勝手に悪法を立てないように監視している、というわけである。ヒトクローンの作製については、道徳的・倫理的にあまりブレが見られないように思える。他の哺乳動物のクローンに関しては、特に宗教的にかなりのブレがあるにもかかわらず、である。では、なぜヒトのクローンに関してだけは比較的容易に同意が形成されているのだろうか。その同意の条件は何だろうか。
 第一に、ヒトクローンはヒトの形をしているがゆえに、人間社会に現れたときに、彼らを我々は「同じヒト」として見てしまう、という傾向と、「異なる存在」として見てしまう、という傾向との板ばさみにあうだろうことが予想される(その差異ゆえの差別問題も生じるだろう)。この「予想される混乱」を嫌悪するがゆえに、ヒトクローン作製を嫌悪するのではないか。この板ばさみは多分に「生殖への信仰」から生じている。
 第二に、ヒトクローンたちが生きてゆく上で、彼らがアイデンティティの危機に陥るのではないか、ということも予想される(誰もクローンの意見を聞いた事がないにも関わらず)。子宮を提供した「母」はいるが、出自は「通常」ではない、という点に関連づけたアイデンティティの危機である。これもまた、「生殖への信仰」から生じている。つまり、両親が愛し合い、「通常の」性交を行い、着床し、出産する、という一連のプロセスへの馴れ親しみである。ヒトクローンの存在は、この馴れ親しみを脅かす無気味な存在へと転化する。
 以上のことから、ヒトクローン作製への多くの人々の嫌悪は、「生殖への信仰」という広く行き渡った文化に起因している。この信仰はしばらくこの先も持続するであろうし、道徳的嫌悪感も持続するだろう。人々がこの信仰を捨てることが困難である以上、ヒトクローンの作製はこの先も困難であろう。私自身もまた人々の間で生活している以上、この信仰から逃れることは難しい。
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寸評:文字数オーバーです。前半部分を大幅に削りましょう。