細江英公の世界@東京都写真美術館
東京都写真美術館で28日まで開催の「球体写真二元論:細江英公の世界」に行ってきました。
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個人的ベストが三島由紀夫写真集「薔薇刑」(1963年に写真集刊行)と、「〔妖精物語〕ルナ・ロッサ」(2000年に写真集刊行)。40年のギャップを超えても同じように素晴らしいというのはすごいことだと思った。去年観た藤田嗣治しかり。
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細江英公はテクノロジーの写真家だと思った。「おとこと女」(1961年刊)で一度その傾向はピークに達しているのですが、「ルナ・ロッサ」はデジタルプリントをツールとして楽々使いこなしているという印象。
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展示会は、美術館によくある、学芸員が書いたと思われる、とってつけたような「解説文」があるでしょう、あれが邪魔だと思った。たとえば「鎌鼬」は土方巽を秋田で撮影したものだけれど、「土着」「東北」「土着が身体化している土方巽」などといった嘘っぱちばかり書いてあって、腹が立った。その根拠が、土方は秋田出身で、細江も米沢に疎開していたから、というのだから愚かもいいところ。
「鎌鼬」には「東北」も「土着」も写されていない。たんに土方がフォトジェニックであり、東北の「風景」の中でひたすら異化効果を放っているというだけだ。ここで「風景」と鍵括弧で括ったのは、その風景が、柄谷行人が『日本近代文学の起源』で論じたような、われわれがすでに「発見」している、そうしたものであるところの「風景」だからだ。
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ただしそうした意味では、観察者が規範的に予期している「東北」の「風景」はこの写真群によって破壊されてはいない。土方が異化効果を放つのは、我々の規範となっている「風景」にとけ込まないからだ。つまり「風景」が地となり土方が図となる、そのときに写真内での風景が土方の方向へ(「東北的」でないものの方へ)ズラされる。土方がズラそうとする、というより観察者の想像力が写真によって与えられる印象を図である土方を中心として一貫性のある連合(association)を作り出そうとする、その契機において「東北」の「風景」はデコンストラクトされる。このようなデコンストラクトが生じるのは、写真がいったん規範を括弧入れするからだ(これが写真の力であるといってもよい)。写真を離れたとき、「風景」にヒビが入り込んでいるということはない。おそらく「東北の風景」を観たときに、われわれは再び「風景」という規範的予期を確認することになってしまうだろう。
いずれにせよ、誰だか知らないけどこの学芸員は東北に観光旅行でしか行ったことがないのでしょう。
2月28日まで田町のフォト・ギャラリー・インターナショナルで作品展が開かれているとのこと。
http://www.pgi.ac/content/view/159/29/lang,ja/