Aha!体験

いやあ、ARG×MEX戦が面白すぎて仕事にならない……

今日さんまの番組見ようと思ってテレビつけたら茂木健一郎が「世界一受けたい授業」(http://www.ntv.co.jp/sekaju/)に出てて、「Aha体験」についての講義をやってたんだけど、PSP買った方がいいかなあ。DSの脳ゲーより面白そう。
http://aha.sega.jp/
↑のFlashのやついまだにどこが変化してるのかわかんないんだけど……
あと「授業」のなかで、「一昨日の晩御飯は?」などの最近の記憶(これは海馬にあるらしいけど)と、「小学校一年生のときの担任は?」という古い記憶(大脳皮質)を交互に聞くテストしてたけど、一つもおぼえてなかった。晩御飯たぶん食べてないよ……
昨日は「そろそろなにか食べないとヤバイ」と思ってAMPMのとろろ蕎麦食った(下痢で全部出したけど)。今日は一日寝たから外に出る元気が出てハンバーグ食べた(二年ぶりぐらいに食べたよハンバーグなんて)。
PSPっていくらすんの? いま。

……2万超えは痛い……

「アハ体験」(Aha-Erlebnis)といえばルーマンもどこかで言ってたな、と思って、がーーっと目視検索していたらめちゃくちゃ時間がかかった。『芸術』のわりとはじめのほうに出てた。

芸術作品は時間を拘束する客体であるがゆえに、この種の〔心的システムと社会システムのカップリングという〕統合は同期化されうる。統合は、システムの作動が〔生起と同時に消失する〕出来事であるにもかかわらず、存続するのである――少なくとも、意識が芸術作品に関わっている間は。これは、客体が関わってきているというまさにそれゆえに、回帰的に生じうる。つまり、〔未来や過去における〕別の形式の知覚を回顧し先取りするなかで生じうるのである。この種の回帰によって初めて、「なるほどAha」体験が可能になる。すなわち、ある瞬間突然に芸術作品の秩序構造が洞察されるということが生じうるのである。ここでもやはり、カップリングの特性は、心理システムと社会システムの融合が必要とされないという点にある。意識は完全に自分自身のもとに留まるのである。[75頁]

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

社会システム側にとっては心的システムの際限のない内的地平には到達できず、心的システム側にとっては社会システムの(以下同様)、という互いに排除関係にある二つのシステムが際立たせられ、云々、という文のあとにこの段落がくるのだけれど。
「先取り」することも「回帰」なのか。先取りも現在における出来事なので(回顧もだけど)、ぜんぶ現時点に回帰する、ということかな。

いや。すごい試合だった!すごい120分だった!がんばった!すごいがんばった!
実力は圧倒的にアルゼンチン有利と、誰もが思っていたにもかかわらず、メキシコはすごくうまくて、アルゼンチンの持ち味をすべて消していた。
マルケス以外は、ボルヘッティが去年からボルトンでプレーしているぐらいで、ほとんど国内リーグでプレーしている選手たちから成るこのチームは、やりたいことが手に取るようにわかり、選手たちは「がんばり」でそれを果たしている。やっぱり歴史ですかね。がんばれるチームってのは。
いやあ。歴史に残る試合だったと思いますよ。
来週30日にはドイツ×アルゼンチンですよ。ぬおお。

ていうかあしたはポルトガル×オランダですよ。ナニコレ。
ワールドカップのためだけに生きて、ワールドカップのためだけに死にたい。
そういう人のために「ワールドカップ生活保護」制度を確立しなければならない。「ワールドカップ観たんだから給料よこせ」っていう主張だけど。