藤田嗣治:いまだ知られぬフジタに向けて拡張
いま東京国立近代美術館で藤田嗣治展をやっていて、チケットは何ヶ月も前にゲトしてるんだけど、まだいってない。今日は(月曜休館だけどGW中につき開館)午睡してしまって行けなかった。
ユリイカ5月号が藤田嗣治特集で、目を通した。面白かった。そうだ。買ったの4月27日(木)で、三田の生協でドカ買いした日で、ショッピングバッグには他にfoujita.comのひとの『人形愛の精神分析』なんかがあってシンクロニシティがあったのですよ(ということをその日のmixi日記に盛り込むのを忘れていてしまったと思っていて。やったぞ書いたぞ)。
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面白かった順に「椹木野依×村上隆対談」「岡崎乾二郎」「会田誠インタビュー」、次点で「松井みどり」(松井さんのは……べつにそのまま大学紀要とかに載せれられるじゃんみたいな、つまり、わかりやすくて、過剰さがない)。
この特集を読んだら、【まったく、椹木野依の博覧強記ぶりは恐るべしだぜ】と思わなければならないと、そう強く確信したね。いやあ、博覧強記ぶりでいえば岡崎じゃないの。って、それはそうなんだけど、椹木野依はすごいんだってば。ぜったい。椹木は理論家だよ、厳密な意味で。「藤田嗣治特集」というコンセプトの巻頭対談として大事な全体俯瞰もやった上で、細部の分裂に目を配らせて、これからの藤田受容=変容に(むしろそっちのほうに)思いを託している。で、全体俯瞰の補完として「岡崎」「松井」記事を読むべき。
村上は、海外に出たアーティストへの日本的文脈からのバッシング、という部分に共感しちゃってずっとそれで引っ張っててそればっかり言ってんだけど、それは会田誠も「あれは村上さんでしょう」と言っているようにすごくよくわかるけど、まあそれは置いておいくとして、椹木が村上と藤田の接点として、藤田→小松崎&成田亨*1→大伴昌司(リトルボーイ展*2)、という継承関係を示して、そこまではOKなんですよ。で、それをついで
いま僕の頭の中で、『アッツ島玉砕』が手塚治虫『メトロポリス』の群集表現みたいなのとつながってきて、夏目房之助の本でも繙いて検証しなきゃ、という気分になってる(笑)。あるいは『マトリックス』*3と比較したらどうだとか、すごい妄想が膨らんできた。
みたいなことを言い出すのね。これは椹木が厳密な意味で理論家だ、ってさっき書いたように、理論は触媒だから、ものを見えるようにする、見えていなかったものを見えるようにする、そういう遂行だから、村上に椹木が妄想を呼び起こした、と考えるべきだと思うのだけど、まあそれはいいとして、よけいなこと言うなあ、この人は、と思うよね。(ちなみに同号には大塚英志のその名も「手塚治虫と藤田嗣治」という記事が掲載されている。ひじょうに文献実証主義的な、論文です。)
でもまあ、面白いこともたくさん言ってますから(「宮崎駿の走馬灯ムービー」、とか)、対談記事としてOK。村上隆は芸大の学長になるべきだとぼくは思いますね。それは4、5年前から思ってる。
それから、松井記事との関連で言うと、晩年の、子供を描いた一連の作品(とくに『アージェ・メカニック』(1958-9))について、松井はクリステヴァをつかって「抑圧されたものの回帰としての『子供』」のようなところに回収してしまう。椹木はそこを、ポップ・アート(ハミルトン)との関連とか、ヘンリー・ダーガー的アウトサイダー・アート(フランスだからアール・ブリュとでもいうべきかもしれないけれど)への藤田的接近、などもきちんと並列させて解釈しているのね。そこまで並列させないと腑に落ちないぐらい分裂していると思うんですよ、『アージェ・メカニック』なんかは。回帰してくるのと戦略的に接近していくのは、異なることとして区別できることで、結果的には同じかもしれないけど(ということはラカニャン的には郵便物の誤配不可能性ゆえに、同じこと、なのかもしれないけど)、鑑賞して受容する側からすれば解釈可能性を分裂させておいて、拡張の可能性を呈示してくれたほうが良いことだし、「現代の社会状況」っていうのはそうやってある程度の複雑性をもたせた選択肢、をもたないと、複雑性を縮減できない、そういう状況を指すのだと思う。
ちなみに松井クリステヴァなんだけど、ちょっとわかりにくい、というか整理しすぎて「なんのこっちゃ」「だれがこういう『仮説』に納得すんねん」みたいなことになってしまっているけれど、ここはfoujita.comのひとの『人形愛の精神分析』という史上最速ラカン入門もあることだし、そっちのはじめの方をペラペラめくってみてから読むとわかりやすいと思いました。
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全体俯瞰の補完として岡崎記事を読むと良い、と書いたけど、岡崎独特の冴えは次の箇所:
第一次大戦と第二次大戦はおおよそ25年の時間差があります。この25年という時間差は1886年生れのフジタと、前出の松本竣介、岡本太郎(1911-1996)、花森安治(1911-1978)などの世代との年齢差と正確に同じです。つまり25年の間隔をおいた世代的な反復がある。この三人は周知のように第二次世界大戦後の美術そして文化――それを戦後ヒューマニズムと呼んでもいい――を代表するキャラクターでもある。戦後文化の方向と性格は彼らによって形づくられた。
個人的に「戦後ヒューマニズム」という単語に反応してしまったのだけど、社会学においても人間回帰のようなことがあったのかもしれない、などと思った。そういう状況下で、社会学の、いわゆる古典、が読まれたのみならず、同時代のパーソンズなどでさえ「人間主義化」されてしまった。のではないか。見田宗介なんてこないだ出た『社会学入門』冒頭で《「社会」というものの本体は人間であり、社会学は人間学であるのです》なんて断言しちゃってるもんなあ。がちょーんだね。はいすみません、我田引水終わり。
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藤田嗣治バッシングについては上記4記事を読んだ後、近藤史人記事を読んで欲しいです。泣けます。
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