社会システム理論 第2章6節

hidex77772006-03-11


金曜の三田ルーマン研究会。

Social Systems (Writing Science)

Social Systems (Writing Science)

Soziale Systeme: Grundriss einer allgemeinen Theorie

Soziale Systeme: Grundriss einer allgemeinen Theorie

社会システム理論〈上〉

社会システム理論〈上〉

  • 第2章「意味」
    • 第6節「意味の三つの次元」

次回研究会は3月24日(金)、『社会システム』第2章、6節(の残り)&7節の予定です。
ご家族ご近所お友達おさそいあわせのうえ、ふるってご参加下さい。



podcastingしました。

podcastingページ左下のpodcast:feedという画像をiTunes(などのpodcasting対応アプリ)にドラッグ&ドロップすれば聞けます。

はてなユーザの方ははてなRSS、これ便利です。

レジュメと配布資料:http://www.geocities.jp/hidex7777/mls/


第2章「意味」第6節「意味の三つの次元」は、

  • まえおき(1-5段落)
  • 事象次元(6-9段落)
  • 時間次元(10-14段落)
  • 社会的次元(15-20段落)

という構成になっていて、
今回は時間次元まで(14段落目まで)進みましたが、やはり時間次元が難しいと思いました。
音声ファイルのラスト近くで、
オートポイエーシス・システムは時間的であるといわれているが、ここでの『意味の時間次元』の話しは、システムの時間性の話しとはまた別の話しなのか?」
という疑問が提起されていますが、馬場さんは
「議論としては非常に似ているが、別のものと考えてよいだろう」
と述べられています。
つまり

ということになります。ただしその水準の違いを棚上げすれば、議論の仕方は同型である、ということでしょう。

今回、タイムリーにも、あの爆笑対談(東浩紀鹿島茂佐藤優松原隆一郎)が掲載されたことで話題になっている『文學界』4月号〔asin:B000EQ4FNS〕に掲載された、

  • 北田暁大、2006、「思考の遊歩―メディアとしての『と』」

が、フィーチュアリングされています(必読)。
「と」論文で、北田さんはベンヤミンをひいて

ベンヤミンは「区別」の思想家であり、また『パサージュ論』は「区別」の操作=実践そのものであった。[294-5]

と述べ、

ノルベルト・ボルツのように――ベンヤミンを『メディア理論家』として読んでしまう危険を何としても回避しなくてはならない。それは誤読などではなく、端的な非読でしかないのだから。[296]

といっています。

「区別」の思想がメディアの思想にほかならないという根源の事実

ベンヤミン的な「区別」の方法論にあっては、「区別」の実践、つまり媒介する作用そのものが、媒介される対象に先行して(あるいは少なくとも同根源的に)存在しているのだ。区別に先立ってAとBが存在し、その両者をメディア=「と」が架橋するのではない。区別の一撃=「と」の導入とたえざる「区別」の反復が、AとBとを世界に着地させるのである


など、引用していたらきりがないですが、「端緒としての差異」について、明快に議論しています。
《こうした「と」をめぐる考察は、馬場靖雄の著作に多くを負っている》で指示されているのは

ルーマンの社会理論

ルーマンの社会理論

の第2章「補論a:『と』の二様態」でしょうか。

↓も読んでみたい。

無限の二重化―ロマン主義・ベンヤミン・デリダにおける絶対的自己反省理論 (叢書・ウニベルシタス)

無限の二重化―ロマン主義・ベンヤミン・デリダにおける絶対的自己反省理論 (叢書・ウニベルシタス)

配布資料として、『社会学的啓蒙3』所収の"Temporalstrukturen des Handlungssystems"の第7節、馬場私訳が配られました。
配布資料は明日アップしますが(縮小コピーしなければならないので(ノД`))、とりあえず議論に使われた「図」だけ、掲載します。

【追記】アップしました(レジュメ置き場に)。

それと、当日、レジュメのほかに、「神義論」でぐぐってトップに来た下記のページをプリントして配りました。