京都で塾講師が生徒を刺殺

今日は久しぶりに院ゼミに出て、ものすごく久しぶりに慶応の大学院生とおしゃべりをした。
帰り道、ああいうことは非常にありうることだよなあと話し合った。院生というのは塾講師のバイトをしていることが多い。
学習塾という空間は、あらゆる空間が異常であるのと同様に異常で、息が詰まるというか、講師からすると、奇妙な距離感(密接感・閉塞感)を生徒との間に作ってしまう。
たいていの場合は(いい意味で)できのわるい(優等生じゃないという意味で)中高生を相手に、昨今のマンガ事情、ゲーム事情、映画事情、音楽事情、不良行為事情についてたあいもないおしゃべりをしていればガス抜きになるのだけれど、それだけが授業にとって必要な要素になったりもする。まあぼくの場合は、ってことだろうけれど(他の講師の授業を横目で見ていると、真面目に勉強をしていて驚くことがある。学校の成績について本気で悩んでいる生徒がいるのだ。そういう生徒はぼくは担当させてもらえないのだろうかw。それともぼくが担当すると不真面目さが伝染してしまうのだろうか)。
ぼくのばあいは平気で「あいつ合わないから、ぼくが授業受け持たなくていいように配置してくれ」と要求するのだが(通例は認められないがぼくは認めてもらったことがある。まあ、合わないと思うことはほとんどないが)、生徒は講師を選べるが講師は生徒を選べない、というケースのほうが多い。ただ、教室の意向で、この生徒にはこの講師だろう(だからこの講師を担当講師として生徒に「選択」させよう)、というセッティングがなされることも多い。
夜から塾のバイトで、授業後の終礼でさっそく対策が指示された。
まず第一に、父兄を装ったマスコミの取材があるので(さっそく今朝から何件かあったそうだ)、教室では応答せずに本部に電話を誘導するように、とのこと。
それから、夜の最後の授業ではなるべく早く生徒を帰すこと。
帰りはエレベータで最下階まで生徒を送っていくこと。そのさい講師が2人(!)同乗すること。
「やれやれ」、であるが、消費者を相手に商売するとはそういうことだ。
ぼくも消費者なんだけどな。そんなサービスを受けてみたいよ。