熊野信仰。

予習。

神が宿るといわれる熊野の山々。平安時代熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社を中心とした、熊野三山の信仰が高まり、皇室や貴族をはじめ、武士や庶民階級にまで熊野詣が流行、その様子は蟻の熊野詣といわれるほどであった。

平安時代後期、浄土信仰のひろがりのもと、熊野は阿弥陀如来あるいは千手観音の浄土とされ、人々はそこに来世を託した。他方、現世の招福、不老長寿の願いの実現もまた、人々は熊野に託すようになった。こうした信仰の普及を支えたのが、御師と旦那の間をつなぐ先達や、絵解きを唱道しつつ諸国を巡った熊野比丘尼の活動である。

中世後期、熊野信仰の教化につとめ、人々を熊野の地へと誘ったのは、熊野比丘尼とよばれる尼僧であった。彼女たちは、『観心十界曼荼羅図』『那智参詣曼荼羅図』や『熊野本地絵巻』を携え、絵解き唱道を行いながら諸国を巡り歩いた。三山の護符(牛玉宝印)を広めたのも比丘尼である。近世に入ってからは、遊芸人化したといわれるが、彼女たちが熊野信仰の全国普及と庶民化にはたした役割は大きい。

古代から多くの人々の信仰に支えられた熊野の聖地。その宗教世界が世界遺産に登録されたのは記憶に新しいところです。自然に対する畏敬の念を本質とする熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社いわゆる熊野三山が、近代化する以前の日本人に与えた影響には、はかりしれないものがありました。

紀伊半島から遠く離れた関東・東北の地にも、今でもなお多くの熊野神社が存在しています。その起源は500年以上をさかのぼり、さまざまな熊野信仰の遺物を現在に伝えています。

本特別展では、東日本の各地に遺されている信仰遺物の優品を中心に、これまで、あまり注目されることのなかった古文書や紀年銘などの各種史料、新出の絵巻資料などを展示します。そして、如何なる熊野の聖地が地域社会に展開し、熊野信仰が東国にどのような影響を与え得たのかを探りたいと思います。


熊野詣 三山信仰と文化 (講談社学術文庫)

熊野詣 三山信仰と文化 (講談社学術文庫)

出版社 / 著者からの内容紹介

仏教民俗学の巨人の大いなる足跡

神道・仏教・修験が融合する謎と幻想の聖なる空間
院政期の上皇が、鎌倉時代の武士が、そして名もなき多くの民衆が、救済を求めて歩いた「死の国」熊野。記紀神話と仏教説話、修験思想の融合が織りなす謎と幻想に満ちた聖なる空間は、日本人の思想とこころの源流にほかならない。仏教民俗学の巨人が熊野三山を踏査し、豊かな自然に育まれた信仰と文化の全貌を活写した歴史的名著を、待望の文庫版に。

熊野の謎はまた人の心の謎でもある。この謎は古代から中世の庶民が、われわれにむかってかけた謎である。合理主義に徹した文化人、知識人の心は、合理主義の公式で解ける。しかし非合理的、前論理的な庶民の心は、公式では解けない。熊野の謎はそのような庶民の心の謎である。それは神道理論も、仏教理論も、美学理論もうけつけない。ただわれわれは熊野三山の歴史と遺物を虚心にみつめ、熊野三山の一木一石一径をあじわうよりほかはないのである。<本書「むすび」より>