北田暁大、宮台真司『限界の思考』
- 作者: 宮台真司,北田暁大
- 出版社/メーカー: 双風舎
- 発売日: 2005/10/22
- メディア: 単行本
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- 目次
まえがき 北田暁大 第一章 空虚な時代を生きる 一 保守思想を考える ・あえてするコミットメントと保守主義の台頭 ・崩壊するコミュニケーションの地平 ・ホンモノの右翼と保守 ・左派によるロマン主義への繊細な考察 ・人間の理性は世界を覆えるのか ・私たちが物事をまじめに考える動機 二 アイロニー、ロマン主義、そして社会学 ・思考のパッケージとしてのハーバーマス=ルーマン論争 ・社会学とロマン派とアイロニーの結節点 ・天皇論を持ち出すことの本意 ・ロマン主義とは何か ・「超越系」と「内在系」 ・認識上の転向、実在上の非転向 ・形式を反復するロマン主義の罠 ・アイロニカルな社会学が立ちあがる土壌としての日本 ・この空虚な時代を、どう色づけしていくのか 第二章 文化を記述する方法 一 「価値自由」とは何か ・あえてウェーバーの価値自由を提唱する ・理論家/実践家としての廣松渉 ・上野千鶴子という非還元主義者 ・私が社会学者になった理由 ・「理論家」宮台と「文化社会学者」宮台は断絶しているのか? ・日本のカルチュラル・スタディーズの問題点 ・いまなぜ「政治の季節」を語るのか ・人はなぜ全体性に惹かれるのか ・政治への意志を社会と接続していく 二 文化を研究することの意味 ・流動性への抵抗力を供給するサブカルチャー ・認識は脱政治的に、実践は政治的に ・カルチュラル・スタディーズのあるべき姿とは ・非還元論的な文化研究をめざす ・文化を記述することの難しさ ・社会学的な想像力を磨く ・モードの変化に気づく力を養う ・反省を分析する手法の開発が求められている ・限界の思考 第三章 社会学はどこへ向かっていくのか 一 「意味なき世界」とロマン主義 ・人間であり続けることは、どういうことなのか ・ロマン的なものと動物的なものが反復する社会 ・近代システムの特徴としての再帰性 ・ロマン主義再考 ・日本は思想の全体構造を見わたしづらい? ・かつて想像された全体性がよみがえる ・「意味なき世界」を肯定するような習慣 二 「脱呪術化という呪術」の支配に抗う ・人間は壊れているという自覚 ・乾いた語り口が切り開く思考空間を求めて ・ローティの「反思想という思想」 ・虚構のうえに成り立つ近代社会という前提 ・社会学者はいま、何をすべきなのか ・保守主義と構築主義というふたつの武器 ・超越への断念と批判への意志を貫く 第四章 アイロニーと社会学 一 戦略的アイロニズムは有効なのか? ・時代とともに変化するアイロニーの構造 ・ポスト八〇年代をどう見るのか ・日本には「消去しきれない理念」がない ・オブセッションが人をどう駆動するのか ・大澤真幸の単純さ ・アイロニーがオブセッションへと頽落する戦後サブカル史 ・戦略的アイロニズムはオブセッションへの処方箋 ・オブセッシブな後続世代は、先行世代の餌食 二 楽になるための歴史と教養 ・若い世代は軽いようで重い ・教養という旅をした世代、旅ができなかった世代 ・八〇年代を退落の時代と位置づけてよいのか ・視界の透明性が存在しない後続世代 ・歴史地図のなかに価値を滑り込ませたくない ・七〇年代的アイロニーを再評価することの危うさ ・歴史をとおして自分の位置を確認する 第五章 限界の思考 一 全体性への思考と専門知 ・強迫性を解除するための方策とは ・奇妙なかたちで流用される専門知 ・何が道具で何が知識なのかを考える ・教養主義者としての蓮實重彦 ・依拠すべき参照項の消えた時代 二 社会の操舵が困難な時代 ・いまこそギリシャ哲学に学べ ・分析哲学を見直す ・オースティン、サール、そしてデリダ ・何を意図しているのか、はじめに話してしまったほうがよい ・宮台アイロニーへの思い違い ・『歴史の終焉』という終焉を生きる ・啓蒙の対象はエリートなのか大衆なのか ・合理性のない欲望が肥大化する日本社会 ・国粋はかならずしも、愛国の体をなさず ・公共的であることの困難 あとがき 宮台真司
http://homepage3.nifty.com/sofusha/html/books/gennkainosikou.html
さっと読めるけど、これは面白い。
後で精読。