栗山千明から「あなたが大切」と言われたい件について
に関して
さんの指摘:
まだ実際にこのCMを見たわけではないのですが、聞いた(読んだ)話を総合するに、このCMのシチュエーションは、
「栗山千明が誰かに『あなたが大切』と言っている」
のではなく、
「栗山千明が誰かから『あなたが大切』と言われている(または言われたい)」
という状況なのだと思いまふ。噂の30秒間ノン瞬きにも、そういう演出意図があるのではないかと思うわけで。
つーことは、このシチュエーションに限定した上で、テレビの前の不特定多数が取るべき態度としてACの中の人が提示しているのは、
「栗山千明から『あなたが大切』と言ってもらう」
ことなのではなく、
「栗山千明に『あなたが大切』と言ってあげる」
ということになるのではないかとも思うわけで。
という指摘は、まったくその通りなのです。
AC、というか電通の意図としては――推し量るしかないのですが――「自殺志願者」という商品のイメージを代理表象しているのが「陰影たっぷりの無気味な」栗山千明タソで、「自殺志願者」からの、そうではないマジョリティへのメッセージをCM化した、ということだと思います。
出典は忘れましたが、清水ミチ子がエッセイで書いていたのだけれど、広告代理店には「イメージキャラクター・カタログ」のようなものがあるそうです。広告代理店の顧客は、ある「商品」を、ある「イメージ」で売り出したい、というニーズを持っているわけですが、その「イメージ」を伝達するのにもっとも適したタレント・芸能人が、おそらく統計的手法を駆使してランキング化されているのが、その「カタログ」だというわけです。
ちなみに清水ミチ子は、あるランキングで、なんの「イメージ」なのか忘れましたが、コロッケに次いで第2位だったそうです。つまり、顧客の提案が「イメージA」だったとき、「イメージA」ランキング1位のコロッケに広告出演の打診をし、予算・スケジュール・その他諸々の都合でコロッケが出演できないとき、次に清水ミチ子に打診する、というわけです。それにしても何のイメージなのか、さっぱりわからなくて気になりますが。
本題に戻りますが、「自殺志願者」・メンヘラー系・AC系*1の「イメージ」を代理表象するカタログのランキング上位が栗山千明だというのは、肯けるハナシです。
エキセントリックな役柄を演じることが多い彼女ですが、本人は「もっと普通の役を演じてみたい」とどこかで言っていました。前髪パッツンをやめないかぎり、それは無理でしょう。
というわけで、栗山千明は「自殺志願者」を代理表象している。
という「読み」は、マス・イメージがなんらかの意味である程度(それこそ統計的に有意に)共有されているので、可能なわけです。
ですから、
このCMのシチュエーションは、
「栗山千明が誰かに『あなたが大切』と言っている」
のではなく、
という指摘にあるような誤読は、ぼくはしていないわけですね。
ところが、問題は、
…これって逆効果の気がするよ。栗山千明に「あなたが大切」なんて言われたら生命力が沸くけど、われわれ自殺志願者たちには栗山千明がいない、ということが大きな意味をもっているわけだからさ。
とぼくが書いたように、「メッセージ」の(ある種の)反転がある、少なくともぼくにはあった、ということですね。
この事態を構成している要素はいろいろあるだろうと思う。
ところが
- 「あなたが大事」と言ってくれる人ぐらいは自分にもいるだろう。おそらく。でもそれは栗山千明級(つまりヘビー級の「生命力供給者」)ではない。
これは「持てるもの/持たざるもの」区別を自己に施している、という事態。
ここまでくると、もう「クラス(階級)」の問題。
もう見えてきた。
- 栗山千明は、我々を代理表象しているように見えて、実は「あっち側」の人間。
つまり、当のCMは、「あっち側」=マジョリティの解読格子にとってみれば、
- 「栗山千明(=自殺志願者の代理表象)が、誰かから「あなたが大切」と言われれば、彼女の(ひいては多くの「自殺志願者」たちの)自殺は防げる」
という「単一」の「情報」しか持たないわけですが、「こっち側」(=ロウワークラス)は非常に多くの「情報」をそこから受け取る(そこに読み取る)という事態が起こる。起こりうる。実際、ぼくにおいて起きた、ということなのではないでしょうか。