ダブル・パロディとしてのオレンジレンジ“ロコローション”

コメント欄にてご教示いただく。昨日の「情熱大陸」で菊地成孔の授業風景が放送され、つんくが"Venus"を聴きながら"Love Machine"を「作曲」しているモノマネをしていたわけだけれど、「まったく新しいコード進行は発明することができない云々」の話のときに、「オレンジレンジは……」と言っていて、そこが聞き取れなかったのでした。
たぶん↓で言っているようなことが言われていたのでしょう。

今やチャートゲッター優等生のオレンジレンジですが、当連載で採り上げた当時の楽曲は正に〈脱皮前〉、〈サナギ期〉という感じで、男子三日会わざれば刮目して見よ。等と申しますが、それにしても一夜にして見事に〈バケ〉ました。ルックス、楽曲、アレンジ総てが「あの危なげだった子が、ちょっと見ない間にこんなに逞しくなってねえ」といった盤石さですが、7位をゲットした“ロコローション”が持つ「大胆不敵な遊び感覚(名曲の露骨な引用)」が二段構えになっている所が周到さには頼もしさを感じます。

即ち、表向きこれは誰が見ても明白な“ロコモーション”(50年代のアメリカの大ヒットポップスですね。念のため)の、かなり技巧的で見事な引用なのですが、同時に。というか、その裏で〈シャンプー〉という、タトゥーの(と、思わず自動的に名前を書いてドキっとしましたが・笑・今頃はロシアでストリッパーをやっている。と、根も葉もないデタラメを書いておきましょう)プロト・タイプみたいなイギリスの一発屋が放った“Trouble”という楽曲のダブル・パロディに成っているところにかなり感心しました(でっかいサングラスでロリポップ・キャンディーを舐めているギャル二人組。と言えば、ご記憶の方も多いかと思われます。ところが今ヤフーで検索したところ、シャンプーでも“トラブル”でも全くヒットしませんでした・笑・まさかそこまでリサーチ済みではあるまいなオレンジレンジ・笑)。合わせ技。というかな。「もう一個はこっちだ」、「これをこれを合わせたんだ」みたいな。

ひょっとしたら無意識かもしれないんですが、それにしたって凄い話です。スタイルとして流行ったら面白いですね、ダブル・パロディ。シングル・パロディがみみっちい印象であるのに対し、ダブル・パロディの技巧感といったら。俳句とか詩の韻律などの様式美さえ感じさせますね。ターンテーブルが二台になった瞬間。目玉も耳も鼻の穴も手も二個。人間工学的に、二つの物を合わせる。というのはある種の〈完成〉を意味する訳です。

  • [PAn]と[PBn]の引用・パロディ→[PABn+1](nは時点を表わす。ただし同じ数字が同時点を表すわけではない)

:とダブル・パロディを定式化すると、
実は[PAn]も[PBn]もシングル・パロディもしくはダブル・パロディであるわけで(例えばシャンプー“Trouble”ではプライマル・スクリーム“Rocks”が引用されており)、

  • [PAn-1]→[PAn]

が事前に想定され、これは無限に続く(プライマル“Rocks”はタイトルもサウンドもコード進行もすべてパロディとなっているので[PAn-1-∞]と定式化できる。むろん1-1-∞は-∞と省略できる)。
で、[PA-∞]と[PB-∞]には等しく∞が含まれているために、すなわち

  • PA-∞]=[PB-∞]

である、と定式化できる。

以上の定式化は論理的なもので、歴史を捨象したものだが、「曲」を「音楽システム」の要素とするなら、音楽システム内の要素接続可能性は歴史を捨象できるぐらいに高まっており(バッハには歴史を捨象した上記の定式はほとんど適用不可能だが、オレンジレンジにはできる)オレンジレンジにおけるダブル・パロディは、「同じもの(identityはないがsameである)」からの同じものの生成、という奇妙な事態として記述できる。

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