ジンメル『貨幣の哲学』Kap4(1)

貨幣の哲学

貨幣の哲学

とりあえず抜書きっておくよ。

初夜権〉が実際にどこかに存在したとき、これはそれに類似した段階をへて発展した。領主のその権利は義務を負う人格のすべてを、つまりは彼のもっとも重要な所有物の譲渡を、あるいはむしろ彼の存在の譲渡を内容とした。領主が臣下の娘に結婚への権利を容認することの代償がそれであった。次の段階は、彼がこの権利――これを彼はいつでもなお拒否することができた――をある貨幣額の支払いにたいしてあたえることである。第三の段階は、彼の異議申し立て権一般が廃止され、むしろ臣下は定められた額、つまり花嫁税、結婚税、婦人税、あるいは類似の税を領主に支払うやいなや、自由に結婚することができるようになる。それゆえ人格の解放は、第二の段階においてなるほどすでに貨幣に依存していたが、しかし強要することのできない[305]領主の同意をなおつねに得なければならなかったため、やはりそれでももっぱらそうであるというわけでもなかった。この関係がようやく完全に非人格化されたのは、貨幣支払い以外の他のいかなる要因もそれを決定しなくなったときである。領生のここで関連のあるいっさいの権利の廃止以前では、臣下の義務が貨幣支払いに変化し、これを領主が受け取ら【ねばならなくなった】ときほど、個人的な自由が高まることができたことはない。それゆえ確かにまたしばしば農奴の奉仕と納品との減少とさらに結局はそれらの完全な償却とが、それらの貨幣関係への変化をこえて進行した。貨幣納付と解放とのあいだのこの関連は、事情によっては権利者によってきわめて有効と考えられ、ために権利者自身も現金にたいしきわめて生きいきとした関心を高まらせた。農民の夫役と現物納との貨幣地代への変化は、ドイツにおいては十二世紀以降に始まった。


英訳がよさげだったよ。訳者序文にフィッツジェラルドが引用されていた。

「デイジーの声にはあからさまなところがあるからね」とぼくは述べた。「あれには目一杯――」ぼくは言いよどんだ。
「あの人の声は金に満ちているのですよ」と不意にギャツビーが言った。
 それだ。ぼくはそれまで理解していなかった。金に満ちている――すなわち、そこから沸き立ってはそこに落ち入る尽きることのない魅力、その涼しげな鈴めいた音色、そのシンバルのような歌声……
グレート・ギャツビー (新潮文庫)』(引用は枯葉さんによるもの)

The Philosophy of Money

The Philosophy of Money