第3回

前回(id:hidex7777:20050124#p2)に引き続き読書会報告。
読んだものは「作動上の閉鎖性と構造的カップリング」。I〜IV節まで読んだ。

  • Luhmann, Operational closure and structural coupling: the differentiation of legal system. 1992. Cardozo law review, v . 13

法の社会学的観察

法の社会学的観察

この時期(80年代後半以降)のルーマンは「システムが自律的でありかつ閉鎖的である」というテーゼをめぐっての誤解解きに奔走しており(前回読んだ"Closure and Openness"もそういう文脈で書かれたもののうちのひとつなんだけど)、この論文も、「システムが閉鎖系である(インプットもアウトプットも行なわない)にもかかわらず、その環境世界なくしては存続できない」というテーゼがいかなる事態であるかの記述を目的としている。
あるいはルーマンが「システムは閉鎖している」というときの「作動的閉鎖性」operational closureっていったいどういう意味なんだ?という疑問に答えようとしている、というべきか。
ところで、4節までのところ、

  • 再参入の話しかしてない

のではないかと思う。
ただまあ、再参入とは何か、ということについて4節もかけてダラダラと解説してくれている、というサービスと受け取れば、得るところはある。のではないか。
が!
なんと、英語論文の訳であるにもかかわらず、ここでも土方節炸裂!!
以下、指摘はほぼid:ederさんによるものですが、ぼくが個人的に笑ったところを抽出して紹介しましょう。

      • -
  • I.開放性と閉鎖性

原文:

Since thermodynamic law presupposes closed systems, open systems seemed to be the solution.

土方訳:

熱力学の法則が閉じられたシステムの議論を前提としてからというもの、解放システムの問題は解明されたかのように見えた。

いや、そう訳せないわけじゃないですけど、システム理論の問題(=エントロピーへ向かう傾向をどうやって反転するか)への「解答」をシステム理論家は模索していたわけで、それが「開放系」というソリューションだったわけですから、熱力学の法則が閉鎖系を前提して「以来」、開放系が問題の解決になったわけではないと思います。

    • -

原文:

How are we to understand that there is something that can select inputs and outputs and survive irritating information about its environment according to internal needs?

土方訳:

インプットとアウトプットを選択できるなにものかがあるということ、システムの外部環境世界に関する刺激情報をシステム内部の要求に応じて存続させられるなにものかがあるということは、どう理解されるべきであろうか。

うーと、surviveするのは主語somethingですので、撹乱的情報を「切り抜ける」のでなくてはなりません。存続させてはだめです。

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原文:

... the theory of autopoietic, self-reproducing systems does not reinvent the idea of complete self-causation in empirical isolation.

土方訳:

オートポイエティックな自己再生産を展開するシステムの理論が完全な自己-因果関係のアイデアを、そのなかだけでの経験というものにおいて、再考察することははい。

ここはいまいち(ギャグが)。(まあ、「再考察」でもわからんことはないが、reinventはたんに再発明のこと)
でもこの段落の主旨(実際に孤立した状態〔=環境世界なし〕にある完全な自己因果性、なんてものが問題なんじゃないぜ、という)と合わないでしょう。

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原文:

Rather, it is what kind of operations enable a system to form a self-reproducing network which relies exclusively on self-generated information and is capable of distinguishing internal needs from what it sees as environmental problems.

土方訳:

むしろ、システムはどのような作動によって、もっぱら外部を排して、自己によって発生させられた情報を当てにし、またシステム内部の要求と環境世界上の問題と思われるものとを区別することのできる、自己-再生産的なネットワークというものを形成することが可能となるか、ということが問われているのである。

違うって!……いや、違わない??え??うーん、微妙なのか。訳としては不合格ではないのか。でも「問題」なのはシステムがどうやって、ということではなくて、「いかなる作動が」ということなわけで(前段落でそう言ってるじゃん)、やっぱだめです。

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原文:

Asking "how" leads to the further question of who asks the question; or, what are the systemic conditions of asking this question; or simply, who is the observer?

土方訳:

「いかに」と問うことは、それを問う者にさらなる問いを導く。(以下略)

ふはは。

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原文:

Are self-maintaining, self-reproducing systems necessarily observing systems, able to distinguish themselves from their eavironment?

土方訳:

必然的にシステムを観察している自己―維持的で自己―再生産なシステムは、それら自身を環境世界から区別できるのだろうか。

めんどくさくなってきた。
きりがない。

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他にも致命的な土方語があるのだけど、一番冴えているところをピックアップ!

  • IV.内部作動

原文:

In theoretical terms, the ultimate problem always consists of combining external and internal references, and the real operations which produce and reproduce such combinations are always internal operations.

土方訳:

究極的な問題は、理論的な専門用語のなかで、つねに外部言及と内部言及とを結合させることから構成される。そして、こうした結合を生産し再生産する真の作動は、つねに内部の作動なのである。

○|_| ̄ =§ズコー