社会システム理論の野望、あるいは全体性へのオブセッション

KIN152

太郎丸博さん(大阪大学教員)。

社会システム理論に依拠した本を書評していてあらためて感じたのは、社会システム理論好きの人々は、あらゆる社会現象を一つの枠組みで捉えたいという野望にとり憑かれた人たちだということだ。例えば、合理的選択理論は非合理な行為を説明できない。デュルケム理論は、ある種の反社会的行為を説明できない。しかし、システム理論ならば、どちらも説明できる。というわけだ。ミクロからマクロまで一貫した図式で説明できる。
ただ、彼らのいう説明は説明ではない。ただの記述である。日常言語で記述されたものをシステム理論のジャーゴンで言い換えているに過ぎない。社会システム理論は、これまでほとんど反証可能な理論を生み出さなかった(とはいえ、パーソンズの議論の一部は反証可能だったし、生産的な議論を生み出した。結果的にはパーソンズが考えるほど近代社会は一様でないことがわかったのだが)。こういった批判はこれまでも繰り返し述べられてきた。だからこそ今やパーソンズを真剣に取り上げる研究者はごくわずかだし、ルーマンも一部のカルトを除けばほとんど読まれていないのだ。今頃、これまでの社会システム理論の凋落に関する真剣な反省もなしに、社会システム理論にナイーブに依拠できる神経が理解できない。

要約:

  1. 社会システム理論好きの人々PPSTは、あらゆる社会現象を一つの枠組みで捉えたいという野望にとり憑かれた人たちだ。
  2. 社会システム理論好きの人々PPSTによれば、システム理論STは非合理な行為もある種の反社会的行為も説明できる。
  3. 社会システム理論好きの人々PPSTによれば、ミクロからマクロまで一貫した図式で説明できる。
  4. しかし彼らのいう説明は説明ではなく、ただの記述である。
  5. 社会システム理論は反証可能な理論Tを生み出さなかった(パーソンズを除く)。
  6. これまでの社会システム理論の凋落に関する真剣な反省もなしに、社会システム理論にナイーブに依拠できる神経が理解できない。

論点?:

  1. 以下の諸命題が混在している:
    1. STは「あらゆる社会現象を一つの枠組みで捉える理論TOOF」である
      1. STでない理論は「あらゆる〜捉える理論TOOF」ではない
    2. PPSTは「〜たいという野望にとり憑かれた人たち」である
      1. PPSTには「〜たいという野望にとり憑かれ」ていない人は含まれない
    3. PPSTではない人々はすべからく「〜たいという野望にとり憑かれ」ていない
  2. 以下の諸命題が混在している:
    1. PPST曰くSTは「非合理的な行為」を説明できる
      1. STでない理論は「非合理的な行為」を説明できない
    2. PPST曰くSTは「ある種の反社会的行為」を説明できる
      1. STでない理論は「ある種の反社会的行為」を説明できない
  3. 以下の諸命題が混在してる:
    1. PPST曰くSTは「ミクロからマクロまで」「一貫した図式で」「説明」できる
      1. PPST曰くSTは「ミクロからマクロまで」「説明」できる
      2. PPST曰くSTは「一貫した図式で」「説明」できる
  4. 以下の諸命題が混在している:
    1. PPSTのいう説明は説明ではなく記述である
    2. 説明は記述ではない
    3. 記述は説明ではない
    4. 【ゆえに】PPSTの意見に反してSTは「説明」できない
  5. 以下の諸命題が混在している:
    1. STは反証可能なTを生み出さなかった
      1. Tを生み出すのはPPSTではなくSTであるはず/べきだった
        1. Tは反証可能なTを生み出す
    2. (PPSTがTを生み出すか/出したか否かはここでは触れられていない)
  6. 以下の諸命題が混在している:
    1. 「STの凋落」への「真剣な」「反省」抜きにSTに依拠するPPSTのことを理解することはできない
      1. STは凋落した
      2. PPSTを理解する条件として、PPSTが[1]「STの凋落」に関して[2]「真剣」に[3]「反省」していることが必須である

結論?:

  1. PPSTは他の理論を好む「人々P」とは異なり、TOOFを野望する「人々P」である
  2. PPSTは他の理論と異なり「非合理的な行為」「ある種の反社会的行為」を説明できると主張する
  3. PPSTは「ミクロからマクロまで」「一貫した図式で」「説明」できると主張する
  4. しかしSTは「説明」ではなく「記述」である(ので「説明」できるという主張は誤り)
  5. Tは反証可能なTを生み出すべきだが、STは反証可能なTを生み出してこなかった。PPSTがどうなのかは知らない。
  6. PPSTを理解するには、PPSTが[1]「STの凋落」に関して[2]「真剣」に[3]「反省」していることが必須である

疑問?:

  • 太郎丸さんはPPSTを理解したい、と言いたいのだろうか?
    • それはなぜか?
      • PPSTを理解する(STではなく)とはいかなる事態なのか?
  • 太郎丸さんは「記述」ではダメで「説明」ができなければならない、と主張しているのだろうか?
    • だとしたらそれはなぜか?
      • 太郎丸さん曰く「STは説明ではなく記述だ」と主張するが、その理解は所与とすべきか、認知的オペレーションをほどこしていただくべきか。
        • どちらが低コストか?
  • 太郎丸さんはPPSTでないPを理解できるといいたいのだろうか?だとしたらその理解可能条件について述べないのはなぜか?
  • 太郎丸さんがPPSTを理解するためには、太郎丸さんが挙げた条件以外にはありえないのだろうか?
    • むろん、太郎丸さんではないヒトはたいがい(統計学的平均人は)PPSTを理解したいよりはSTを理解したいと思うだろうし、その場合いくつかまったく異なる条件提示のデザインを考えうるのだが。
  • PPSTはP(ひとびと)なので、いろんなひと‐びとから成っていると思われるのだが、その多様性を理解したいのか、統一性としてのPPSTの一般的傾向を理解したいと思っているのだろうか?