読了。

3週間かかった(時間かけすぎ)。

アフターダーク
村上 春樹

おすすめ平均 
ポスト「海辺のカフカ
長い夜が必要な場合がある
おかえりなさい。
あれーーー?
後の闇?

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とくに詳しくは論じませんが、面白かった。
かわりに、といってはなんですが、ハードディスク内を検索したら1999年6月に書いた村上春樹に関する短文が見つかったので、晒しておく。
スプートニクの恋人
村上 春樹

おすすめ平均 
これまでの村上春樹とは違うラスト
ラストを評価
流れ星の邂逅
残酷さと癒しと
いろいろと考えさせられる作品

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ゴールデンウィーク中に読んでました。
読解。主要な登場人物は3人:ぼく、すみれ、ミュウ。小説は大きく前半と後半に別れる。前半は3人の三角関係が語られる。三角関係とはいっても、ぼくはすみれを一方的に愛しているだけで、すみれの方は友人としての感情以上のものを持ち合わせていない。すみれが22才の春に生まれて初めて恋に落ちた相手であるミュウも、仕事のパートナーとしてすみれをそばにおいてくれるだけであって、なにしろレズビアンの感情であるし、17才年上のミュウは結婚もしているのだ。つまり、愛の送付関係は〈ぼく→すみれ→ミュウ〉という一方通行的なものであり、反対贈与はない。しかし、愛の贈与に対し、すみれは最大限の友情を、ミュウは仕事上の最大の信頼を送り返しており、送付関係=一方向的システムは、滞りなく、安定している。
後半、このシステムは変動をきたす。仕事の休暇を、ミュウとすみれはギリシアロードス島で過ごしていたところ、すみれが、消える。ぼくはミュウの連絡を受けてすぐにギリシアへと発つ。〈ぼく─ミュウ:(すみれ)〉。すみれは、煙のように消えてしまったのだ。いきさつを聞いたあと、ミュウはアテネの警察へ行き、ぼくは二人のコテージへ行く。そこでぼくはすみれのパワーブックでフロッピーの文書を読む。そこにはすみれによって、ミュウの過去が書かれている。ミュウは14年前、スイスで観覧車に乗る。そこからミュウの住んでいた部屋が覗けるのだが、そこでミュウは、自分の部屋にいるミュウ自身(ドッペルゲンガー)をみる。部屋にいるミュウは、嫌だと思っていた男と激しくセックスをしている。次の日ミュウは、すべての髪が、白髪になっている。ミュウは、自分が半分になってしまったと感じる。つまり、「本当のミュウ」は、〈向こう〉側におり、〈こちら側〉の自分は本当の自分でないと感じるのだ。〈ぼく:(すみれ)→(ミュウ)〉。
すみれは結局みつからず、ぼくは帰国する。ぼくは「不在のすみれ」のことだけを考えている。ぼくは、滅多に人と会話をしなかったが、唯一すみれとだけは、滞りなく会話をし、本当に楽しいと感じることができていたのだ。〈ぼく→:(すみれ)〉。
結論、評価。小説としては平均的。特別読むべきものでもない。主人公は「不在の」「本当の」空間にある対象を欲望する。その空間では欲望の送付関係が滞りなく行われるのだ。ハイデガーのいう「本来性の希求」が、不在のものへの絶えざる欲望だとしたら、すみれは永遠に・あらかじめ失われたものであるだろう。小説終盤で川に投げ落とされる、引き出しの「鍵」は、永遠に失われる〈向こう側〉のメタファーである(ラカン対象a)。結局この二つの世界(こちらと向こう)の弁証法に終始する話しで、複雑さに欠けている。阿部和重にみられるような、何重にも世界を踏み外していくような、めくるめく脱構築的快感が欲しい。