作動的閉鎖性

「作動的閉鎖性operational closure」について簡単に解説します。
ルーマンが扱うシステムは、意味的なオペレーションを行うシステムです。(1)社会システムと(2)心的システムのふたつ。
システムが「閉鎖」しているということは、たとえば、ぼくはいま自分の歯があって、舌がそれに触れるのを感じていますが、しかしその感覚的印象は、あくまでも心に与えられた=心の内部に生じた印象に過ぎません。つまり「歯そのもの」「舌そのもの」が実在するのかどうか、疑ってみることも可能なわけです。
ただしルーマンは「疑え」と言っているわけではありません。たんに「システム」(この例の場合心的システム)が行う「区別」(<歯である/歯でない>という区別、<舌である/舌でない>という区別)と「指示」(「歯である」「舌である」という、前述区別の一方の指し示し)がシステムの要素である、と述べているだけです。この「区別」と「指示」の統一を「作動operation」と呼びます。
心的システムはこのように、心的システムの要素(オペレーション)の連鎖そのものであるわけですから、その「外部」を知ることはできません(即ち「閉鎖的」)。心的システムにとって「歯」や「舌」は、あるいはその物理的実在を電気信号に変換する神経システムは、「環境」にすぎない、というわけです。ちなみに心的システムと神経システムのような、お互いがお互いに閉鎖的でありながら環境であるような関係を「構造的カップリング」というタームで呼んでいます。
以上まとめると、システムはそのシステムに準拠したオペレーションしか行うことができない(作動的閉鎖性)のではあるけれども、まさにその閉鎖によって環境を観察することが可能となっており、環境を当該システムに準拠したオペレーションとして観察することができる(いわゆる「開かれている」という言明が、ある意味で可能である)、というわけです。