信頼論のルーマン

contractioさんがぼくが立ち直れなくなるような「こまった」論点を提示してくる前に(ぼくが読んでしまう前に)、現在の論点に対する弁明、のようなもの、を述べておきたいと思います。

contractioさんの『信頼』読解には、おおむね異論はありません。「おおむね」というのは、細部における疑問点(含む多少の異論)があるからです(あるんじゃん)。「疑問点」については、以下で小出しにしていきます。

【これまでのあらすじ】

  1. hidexが、読書会の参考文献として、ルーマンの"Familiarity, Confidence, Trust"論文の試訳を指示。>id:hidex7777:20040212#p2
  2. contractioさんが、ルーマンフォーラムでの議論を指示しつつ、"confidence"を「確信」と訳すのはまずい、と指摘。>id:contractio:20040213#p1およびid:contractio:20040213#p2
  3. hidexは、ルーマンフォーラムでの議論は知っていたものの、なぜそれを無視して、あえて(仕方なしに)慣例にしたがって「確信」と訳したのかを、自分の論文草稿の一部を挙げて、説明。⇒hidexとcontractioさんとの間で、「FCT」論文の理解が異なっているために、contractioさんの議論をそのまま受け入れることはできない、という主張。>id:hidex7777:20040212#p3
  4. contractioさんが、ルーマンの「<trust/confidence>-差異は、認識と帰属に依存する」という言葉をどのように理解しているかをhidexに質問。>id:contractio:20040213#p8
  5. hidex、とんちんかんな回答(w>id:hidex7777:20040214#p1。ただし、contractioさんの主張、「確信」は「程度問題」(どのぐらい深く・強く信頼しているのか)を想起させてしまうために、やはり訳語としてはまずい、という「前提」にはhidexも完全に同意する、と回答。訳語問題は始末済みとなる。よって、『信頼』および「FCT」論文の「解釈」の相違のみが目下のところ、論点となる。>id:contractio:20040214>id:contractio:20040215

【『信頼』について】
contractioさんの指摘に返答する前に(しつつ)、ぼくの「誤読歴」を披露します。というか、あるゼミで『信頼』を読んだときに提出された論点を、思い出せる範囲で記録しておきたいと思います(近いうちに『信頼』の読み直しをしなければならないと思っているので、自分にとってはこのメモは有益だと思うからです)。

まず、最初に『信頼』前半部分のレジュメを切ったぼくは、レジュメ冒頭で次のような「一行まとめ」をしています。
「第三章は社会進化・社会分化がテーマで、「信頼」が分化していく過程が描かれる」
つまりこの時点でぼくは、contractioさんが指摘なさった誤読、「階層構造」を思い描いていたことになります。しかしそのゼミで「はたして進化・分化を論じているのか、信頼の普遍的条件を論じているのか、この章を読んでも定かではないのではないか」という疑問が出され、
馴れ親しみ⇒人格信頼⇒システム信頼
という「階層的」「歴史的」図式をぼくは却下しました。

次に、『信頼』後半部分のレジュメを切った方が、ぼくがレジュメ担当だったゼミでの議論を、次のように図式化しました。
table-1

ぼくはこれに異議を述べ、次の図式を提示しました。
table-2

図式でいうと、contractioさんによる『信頼』読解は、table-2に近いものではないでしょうか?
つまり、馴れ親しみから〈信頼〉が分出すると、それは<パーソナルな信頼/インパーソナルな信頼>となるのであって、<インパーソナルなもの>との対比なしに<パーソナルなもの>がありうるはずもない、という論理からです。
ところが、現時点でぼくは、再び「歴史的」図式(念のために、「階層的」図式ではありません)に理解が戻っています。
理由は、<インパーソナルなもの>=社会システム、ではないと考えるからです。
<インパーソナルなもの>の位置に、社会システムだけではなく、神話や宗教や象徴がくることができ、それらは信頼の対象ではなく馴れ親しみの対象であるだろうからです。
早く寝ようといわれたので続きは明日。
ところでS口さんはここ見てるんでしょうか?見てたら話は早いのですが。
*結局テーブルタグがうまくいかず、お絵かきしてしまった……