家族変動論

ここは家族社会学のお勉強ページです。
とくに、「家族変動論」をめぐって、考えていることをメモしていきたいと思います。

  • わからないこと

とにかく、いろいろわからないことがこの世の中にはありますが、家族社会学ほどわからないものはない。社会学ってのもわからないが、家族というのがとくにわからない。ここでは、そのわからなさを、「家族変動論」をネタにつかって敷衍していく。
家・家族・世帯がそれぞれ違う概念だということは、事典なり入門書なりに書いてある。まあ、それは置いておこう。
家族変動というとき、それはおそらく「家族」の「変動」を意味しているのだろう。
しかし、それはほんとうに「家族」の「変動」なのだろうか?



化学の実験において、よくは知らないけれども、「CO2」に何かすると「O2+何か」になる。これは「還元」とよばれる。ここに【ある】のは「還元」という【現象】であって、「CO2変動」でもなければ「O2変動」でもない。
これに対し、状態S1から状態S2への遷移が「家族変動」という語彙で記述されるとき、「家族」の持続が観察されているのだということができる。ということは、「家族」という成分は変わらないけれども、「変動」の要因となるような諸現象はあったのだ、という主張がなされていることになる。
この主張は一見奇妙である。

  1. 「変動」はあった
  2. しかし「家族」は持続している
    1. なんらかの権利において、「家族」の持続性は観察される

とすると、「家族」はまったく「変動」していないのではないか。そこにあるのは「変動」という【現象】であって、「家族変動」ではないのではないか。

物質の集合状態の変化(固体―液体―気体)の場合、これは、変化という現象のただなかにおいて、その構成要素は同一であるため、変化と持続が同時に観察される。これを比喩に用いるならば、家族の構成要素である「夫婦と親子」は不変であるため、持続を観察することができる。しかし、今度は変化を見出すことができない。構成要素間の関係に変化がないからだ。



「コミュニケーション様式の変動」について、次のような観察は可能である。

  1. 90年代中期まで、若者のコミュニケーション・メディアは主にポケベルであった
  2. 90年代後半から、それはケータイ及びケータイを利用したメールに変容した

これは有意味な記述である。
「コミュニケーション様式」という抽象概念は【現象】ではなく、形式である。その形式の内実は多(他)様でありうる。状態遷移は諸要因によって規定され、分析によって諸要因の特定specifyがなされていく。
しかし、「家族変動」においては、ある「変動」という【現象】が観察される中で、「家族」概念自体は持続している、ことになっている。そして家族社会学においては「家族」自体が(形式ではなく)【現象】として観察されている。
わかりやすく問題点をあげれば、状態S1から状態S2への変動が観察されたとき、状態S1において「家族」という名を付与された現象と、状態S2において「家族」という名を付与された現象は、いかなる権利において「同一である」と主張できるのか(同一でないものは変動しない=変動して別のものになったらそこに同一性はない)。
★これを、家族の持続問題とよんでおこう