なんだか最近

考え事をする時間が多くなっている気がします。
学者なんだから考えてあたりまえだろってのはもっともなんですが、
ええと、精確には、伝達のデザインを考えすぎて、ちっともアウトプットがされない、
そういうよからぬ状態です。
これも気圧仮説で説明できるのでしょうか?
具体的に言えば、本を読んだら、せっかくbook100グループに入っているのですから、
簡単に「読んだ」「面白かった」とでもぱぱっとblogに書いてしまえばいいのでしょうし、
それがblogをやっている者の使命でありましょう。
まとまった長い論考のようなものは、たまに書けばいいのだし。
ようするに、本を読んでも、それをどう記事にしようか、
というところで考え込んでしまうのです。
3ヶ月以上前に読んだ本についても、まだ纏まっていないのです。
その、伝達のデザインというやつが。
このことはblogについてだけじゃなくて、
生活全般についてなんですけど。
いまははてなに書いているから、blogのことを例に挙げましたが。
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さいきんは酒井景都ちゃんが好きです。あいかわらず蛯ちゃんも好きですが、
景都ちゃんは今の女の子のあるべき姿という感じがしています。
先日とある女子に「趣味悪い!Canギャルの方がまだぜんぜんいい!」
とお説教されましたが、
自意識過剰と無意識過剰のあわいで、苦しみもありつつ、
そこそこ上手くやっている、自分ワールドを展開していっている、
というモデルケースのようで、魅力を感じます。
「ふつうの」女の子はそんなに自意識過剰でもなければ
無意識過剰でもないでしょうけれど。
蛯ちゃんにかんしては、これがまたぼくには「伝達デザイン」の問題、
ひとつのぶちあたっている壁、でありますけれども、
全体の構想としては、
   「アウラモンタージュ理論
という方向性で考えています。
素材も少しずつできてきてはいるので、
たんに怠惰なだけなのですが。気圧のせいです。
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あと最近はラカンが好きです。
ああこれはあれですね、
『大航海』のラカン特集がわりと面白かったことに
触発されていますが、セミネール20巻『アンコール』の再評価が
英米圏では高まっているようですね。
それから、バルトとベンヤミンの再読もやっています。
これは小西真奈美の写真集が届いたからなのですが――
何週間か前の「情熱大陸」でコニタン特集をやったときに
7年間密着している写真家の発言が、
ぼくが小西真奈美に対して感じていることと完全に一致していたこと、
彼女の発言がルーマン的であったこと、
そういったあたりから考え始めていて――
写真集を見たときにこれはもうラカンでしか理解できない写真集だ
と直観したのですが、
それは幾分かは、最近ラカンばっかりに浸っているからではないのか、
という自己懐疑を行い、バルトも引かねばなるまい、
ベンヤミンはどう言っていたっけ、
というふうに、デザインを考え始めてしまうからなのです。
まあそれ自体は普通のことだし、やって当たり前のことなので
何日もかかってしまうのはたんに怠惰(気圧)ゆえのことですが。
たぶん完成すると、まったくつまらない、
新しい知見をまるで付け加えることのない
平凡な伝達になることは目に見えているのですが、
そしてそのことが怠惰さのひとつの原因にもなっているのですが、
ああ、これは「論文」を書く気が起こらないのに似てますね。
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mixiではデザイン以前に、そもそもネタの選択の時点で
選択肢が狭まるので、
書きやすいといえば書きやすいですが
でもまあ、あいかわらず不調です。

そんな感じです。